相互リンクはこちら
バナーをどうぞ



2011年10月31日

3冊目の『林檎の樹の下で』
〜日本のパソコン黎明期を描く歴史書

皆さんこんにちは、井之上喬です。

『林檎の樹の下で』の改訂復刻版がこの10月にオープンブック社より発刊されました。この本は、アップル社の日本進出とマッキントッシュ発表を中心に日本のパーソナルコンピュータの黎明期における数々のエピソードをまとめたノンフィクションです。

著者は私の古い知人の斎藤由多加さんで、私は彼を「アップルの語り部」と勝手に呼んでいます。斎藤さんは大ヒットしたゲームソフト「ザ・タワー」や「シーマン」の作者としても知られる国際的なゲームデザイナー。これまで文化庁メディア芸術祭特別賞や内外で沢山の賞を受賞しています。

『林檎の樹の下で』の最初の発刊はアスキー出版からで1996年の4月でした。出版パーティに招かれ、斎藤さんを交え来賓の武内重親さん(当時アップルジャパン社長)や原田永幸さん(当時アップルジャパンマーケティング部長:現マクドナルド社長)、猪瀬直樹さんなどと談笑したのを覚えています。

次いで2003年10月に毎日コミュニケーションズから復刻版が出ました。この時はわざわざ斎藤さんが私の会社に刷り上がったばかりの本を届けに来てくれました。

今回は六本木のバーを借り切った出版パーティで、斎藤さんはバーテンダーに扮し、楽しげに来客へドリンクサービスしていたとパーティに参加した、私の会社(井之上PR)の常務取締役で当時私と一緒にアップルの仕事をしていた皆見剛から聞きました。

こうしたこともあって、歴代3冊の『林檎の樹の下で』が私の本棚に並ぶこととなりました。

■個人用電算機と呼ばれていた
『林檎の樹の下で』は、アップルが日本に進出する前の1977年から、スティーブ・ジョブズがアップルを追われてNeXT社を設立し、新製品 (NeXTcube) を発表する88年までの約11年間を描いています。さながらアップルに関わるさまざまな人たちの織り成す日米の壮絶なドラマ。

本のページをめくっていくと、ページの数だけ想い出が重なり、あっという間に30年前にタイム・スリップします。

1980年7月2日、アップルと東レの提携発表の記者会見が催されました。この本に、「(前略)36歳になる井之上は、久々の緊張感を噛みしめ時計に目をやった。井之上は本日この記者発表の司会進行を務めることになっている。」と書かれています。

帝国ホテルで行われたこの記念すべき記者会見は、私にとってMC(司会進行)を演じる最初で最後のものでした。

会見には東レからは伊藤昌寿代表取締役副社長(後の社長)、中橋龍一取締役など3名とアップル本社から出席したジーン・カーター副社長とスティーブ・シャンク極東地区営業担当マネジャーの5名が出席。本に載っている記者会見の写真を目にして、当時のことが懐かしく思い出されます。

「東レ、米社と業務提携 個人電算機を発売」。これは記者会見の翌日に掲載された日本経済新聞の見出しです。当時日本国内でのアップル社の知名度は低く、見出しは販売会社の東レを主体に扱い、アップル社を米社としています。

また、この時代にはパーソナルコンピュータという呼称が一般化されておらず、「個人用電算機」と表現されています。こうしたことが、『林檎の樹の下で』が書かれた時代の背景でした。

「ジョン・レノンが自宅前の路上で暗殺された。(中略)その4日後の(1980年)12月12日、奇しくも米国西海岸のヒッピーが創業したコンピューターメーカー、アップルコンピューターが株式公開を果たした。」

株式公開(IPO)のあった午前中、私は会社の仲間(皆見剛)とともにアップル本社を訪問しました。社内ではナスダック上場を祝う社内パーティが開かれていました。

何人もの億万長者が社内から生まれたこともあって、パーティは熱気に包まれていました。ベンチャー・ビジネスにとって大きな目標となる株式上場を果たし、歓喜に沸くシーンを目撃した私も少なからず興奮を覚えたものでした。

この時、スティーブ・ジョブズ氏には会えなかったのですが、もう一人のスティーブ、“ウオズニアック”氏と話す機会がもてました。

アップルが本格的に日本市場を攻略するために、日本法人設立を実現させたのは1983年。

ゴールデン・ウイーク明けの5月8日に「アップルコンピュータジャパン設立記者会見」が開催されました。

この時の写真は本に掲載され、主催者席のアップル・ジャパン福島正也社長とビル・ションフェルド氏と一緒にそこには30年前の私が映っています。

福島さんは大変優れた戦略家でスケールの大きな経営者でした。また、パブリック・リレーションズ(PR)に大変理解のある人で、コミュニケーションと関連する経営や事業面の問題について、どのようなことでも私たちPR専門家のアドバイスを求めてきました。

アップル・ジャパンを立ち上げ、今日の発展の基礎を築いた福島さんもビル・ションフェルドさんも、残念ながら他界してしまっています。彼らがいたら、この『林檎の樹の下で』の改訂復刻版を肴に、どんなにか楽しいお酒が飲めたことでしょうか。

■イノベーションのバトンは若者へ
『林檎の樹の下で』の著者の斎藤さんは、10月7日付の後書き―さようなら、スティーブ・ジョブズで「ジョブズという人物についての説明に、当時のようにページを費やす必要がまるでないのだ。スティーブ・ジョブズという存在をごく普通の若者が知る時代なのである。」と記しています。

そして、「アップルはかつて“アップルコンピューター”という名だったことも、同社がWindowsに押され死の淵にいたことも、マックがかつては“マッキントッシュ”という名前だったことも、彼らは知らない。彼らにとってアップルやマックとはDCブランドであり、ライフスタイルの一部なのだ。

そんないまのアップルファンのために、他界してしまったスティーブ・ジョブズ氏と、そして彼を取り巻く多くの関係者が辿ってきた歴史を残すこと―それが本書復刊の理由だ。」と述べています。

10月10日号のブログで、私は急逝したアップルの前CEOスティーブ・ジョブズ氏を採り上げ、2005年にスタンフォード大学の卒業式で行った彼の感動的なスピーチに触れました。

ジョブズ氏はその中で「死はおそらく生物にとって最高の発明です。それは古いものを除き、新しいもののための道を開いてくれる変革の担い手です」と語っています。

56年の生涯を駆け抜けたジョブズ氏をはじめ、パソコンという新たな時代を切り開く文明の利器の普及に尽力した多くの先駆者の方々から、イノベーションのバトンがこのブログの若い読者である皆さんに引き継がれていくことでしょう。

ITの未来が人類にとって望ましいものとなることを期待します。

――――――――――――――――――――――――――
「中国最新メディア事情」セミナーのご案内

インターネットやツイッターの爆発的普及により、中国のメディアは大きな変貌の時を迎えています。私の会社(井之上パブリックリレーションズ)では、日々変化する中国経済とメディア事情に精通した日・中お二人のジャーナリスト、アジア通信社社長の徐静波氏と朝日新聞国際編集部次長の野嶋剛氏をお招きして「中国最新メディア事情」セミナーを企画いたしました。両氏の豊富な取材経験に基づいた最新の中国メディア情報と中国市場における日本企業のメディア・リレーションズに対するアドバイスは、現地での事業成功の大きなカギとなると考えております。ぜひこの機会にご参加ください。

■詳細・お申込み:http://www.inoue-pr.com/
■日時:2011年12月5日(月)14:00?17:00
■会場:丸ビルホール&コンファレンススクエア
 8F Room 1 東京都千代田区丸の内2-4-1丸ビル
■参加費:6,000円(税込)


――――――――――――――――――――――――――
井之上パブリックリレーションズ(井之上PR)は5月12日に地方自治体など公的機関向けに「ツイッターマニュアル」を無償で提供することを発表しました。ご興味のある公的機関の皆様は是非、お問い合わせください。詳しい情報はWebサイトでご覧になれます。

            ◇

日本パブリックリレーションズ研究所(JPRI)では、東日本大震災で風評被害の深刻な影響を受けた観光業界、とりわけ自治体観光局や観光関連団体に対し、「風評被害を避けるための情報発信方法」の無料相談を5月25日より開始しました。詳しい情報はWebサイトでどうぞ。


━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…
FacebookTwitter始めました!
━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…


*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':**:'¨':*:'¨':*:'¨':*


メルマガ登録の方はこちらをクリックしてください。

http://inoueblog.com/archives/m/06.html


*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..

投稿者 Inoue: 09:47 | トラックバック

2011年02月14日

「スキー伝来100年」
 ?スキー人口減少にどう歯止めをかけるか

こんにちは、井之上喬です。
先週は都心でも積雪がありましたが、皆さんいかがお過ごしですか。

いまから100年前の1911年(明治44年)、旧オーストリア・ハンガリー帝国の軍人レルヒ少佐によってスキーが日本に伝えられました。新潟県の高田(現上越市)で指導したのがその始まり。

私は高校時代に水泳をやっていた関係もあり、はじめはスキーに興味が持てませんでした。しかし社会に出て、1976年のオーストリアのインスブルックで行われた冬季オリンピックに、日本楽器製造(現ヤマハ)のスキー板が使用されことがきっかけで、井之上パブリックリレーションズがそのPRに関わることになります。そこで初めてスキーのもつダイナミズムに圧倒されました。

それは、インスブルックで、当時オーストリアのフランツ・クラマー(滑降で金メダル)やイタリアの花形選手トエニ(回転で銀メダル)達のスキーを目のあたりにしたときでした。時速200キロのスピードで人間が滑り下りる迫力に驚愕したのです。

その後1998年の長野オリンピックでは、オーストリア商務省のPRのコンサルテーションを行っていた関係で白馬村に設営された『オーストリアハウス』開館のPRも担当することになりました。

私もこの開館式に同席しましたが、長野の大回転で金メダルをとったヘルマン・マイヤーや先のインスブルック金メダリストのクラマーなど、そうそうたるアルペン王国オーストリアのスキーヤーを間近にみて魅了されたものです。

■年々下降するスキー人口
日本人スキーヤーの猪谷千春さんが1956年のイタリア、コルティナダンペッツォ・オリンピックで日本人初の五輪スキー回転でメダリスト(銀メダル)となったのは、有名な話。その後、「黒い稲妻」といわれたオーストリアのアルペン3冠王、トニー・ザイラーの来日などで日本にスキー・ブームが起きます。

日本のスキー人口の増加は、日本の高度成長と軌を一にしています。つまり50年代半ばから普及が始まり、93年には1,860万人のピーク(レジャー白書)に達したものの、現在は3分の1程度までに減少(下図参照)。当然、スキー場の淘汰も進行中で、閉鎖に追い込まれるスキー場が急増しているようです。

スキー&スノーボード人口の推移?『レジャー白書』2010年版


スキー人口が減少した要因として、バブル崩壊によるものが大きいとされていますが、娯楽の多角化や若年層の数の減少や自動車離れ、スノーボードへの移行、またスキーを愛好する年長者の高齢化、そしてアルペン競技におけるフィギュアの浅田真央のようなスター選手の不在などが挙げられます。

一方、その改善策として若い女性を増やすこと、子供連れを増やす、50歳以上のリピーターを増やす、そしてSAJ(財団法人 全日本スキー連盟)が欧州のようにスキー選手育成のプログラムを作成してスター選手の輩出に努力するなどが挙げられています。

しかし、これまでのような国内だけを見据えた施策だけでスキー人口を増やすのには無理があります。

■スキーと観光事業で国際化
私はスキー人口減少の歯止め策として、あるいはよりポジティブな表現として、スキー人口拡大には、国内スキー場の国際化が最善の策であると考えています。

そのためには、施設やスキー場までのアクセス改善といった面ばかりでなく、温泉や料理など日本文化を採り入れた「おもてなし」をパッケージにしてスキー場価値を高める努力が重要であると思います。

これらの点に関して日本経済新聞(2011.1/12夕刊16面)「中国語案内、ウォン両替、地元文化紹介、蔵王や白馬、外国人おもてなし」の記事は示唆に富んだ内容となっています。

「‥‥前略)蔵王温泉観光協会によると、外国人客は年々増加。2009?10年のシーズンは毎月千人以上が訪れ、うち9割は韓国や台湾などアジアから。大半が個人旅行でスキーや樹氷観賞が人気という。」とアジアから多くのスキー観光客が押し寄せていることを伝えています。

そして、「蔵王で旅館やホテル計5軒を営むタカミヤホテルグループは、韓国語や中国語を話せるスタッフを配置。周辺の銀行が扱わない韓国の通貨ウォンをフロントに準備し、両替に対応した。」と日本人スタッフだけでなくネイティブ・スタッフを配置していることがわかります。

また同紙は、長野五輪のアルペン競技などの会場となった長野県白馬村への外国人スキー客の急増も紹介し、村観光局の発表数字を紹介し、08年の外国人観光客数が約4万9千人で、4年間で約5倍に跳ね上がったとしています。

白馬村への外国人観光客の約4割を占めるのがオーストラリアからのスキー客のようで、「1?3週間程度の長期滞在者が多く、地元の観光会社が温泉や寺社などを巡るバスツアーを企画したり、村観光局がそば打ち教室などを開いたりしている‥‥」としています。

先日テレビ番組で、志賀温泉が外国人観光客でにぎわっているニュースが流れていました。番組によると、雪中のニホンザル親子の写真が国際的なコンテストに入選し、写真がインターネットで世界中に流れたことがきっかけで、広くアジアや欧米からの観光客が「地獄谷温泉」につかるサルを見にきているとのことです。旅館のスタッフも日本語に加えて、英、仏、中、韓とじつに5カ国語。

いま日本には、冬の観光にスキーを中心として、温泉とおいしい日本料理、そしておもてなしの心で外国からの観光客を誘い込む知恵と行動が求められています。

こうした面でも私たちパブリック・リレーションズ(PR)の専門家の役割が期待されています。


━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…
FacebookTwitter始めました!
━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…━━・‥…


*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':*:'¨':**:'¨':*:'¨':*:'¨':*


メルマガ登録の方はこちらをクリックしてください。

http://inoueblog.com/archives/m/06.html


*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..,:*:,..

投稿者 Inoue: 13:02 | トラックバック