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2017年07月20日

夏休み国立公園に行ってみては
〜国立公園を訪れた外国人観光客は昨年初めて500万人突破

皆さんこんにちは井之上 喬です。

関東では平年並みの梅雨明け宣言があり、地方で開催中の夏の甲子園(第99回全国高校野球選手権大会)予選も佳境を迎えていますね。

高校球児の皆さんの健闘を祈ります!

学生・生徒さんにとっては社会人にはない大型の夏休みが目前に控えていますが、社会人の方も「夏休みどこに行こうか?」とお悩みの方が結構多いのではないでしょうか?

ちょっと長めの休みを取れる夏休み、旅行会社が様々な海外旅行プランを組んでいますが、日本国内にも訪れたことのない数々の素晴らしい観光地があるのも確かです。

その代表は全国にある国立公園ですね。

■国立公園は全国に何カ所?
ではここで質問です。現在日本には何か所の国立公園があるでしょうか?
答えは今年3月に奄美群島国立公園が加わり34カ所になっており、国土の5.8%%を占めています。

あなたはいくつ国立公園をご存知ですか。詳しくは環境省ホームページの日本の国立公園をご覧ください。
https://www.env.go.jp/park/

国立公園の役割としては「国立公園は、次の世代も、私たちと同じ感動を味わい楽しむことができるように、すぐれた自然を守り、後世に伝えていくところです。そのために、国が指定し、保護し、管理する、役割を担っています」としています。

そして「自然公園法が主に保護の対象としているものは自然の風景地ですが、人が感じる風景には視覚だけでなく五感で感じるものまで含まれています。自然を包括的に認識することにより自然環境の保全や生物多様性の保全にも大きく寄与しています」と自然と文化の融合も大きなテーマになっています。

このような四季に恵まれた豊かな日本の自然が日本人の心のよりどころになっているのではないでしょうか? 都会の雑踏を離れ、素晴らしい景色に感動し、新たな気持ちで仕事に取り組めた経験をお持ちの方も沢山おられると思います。

クールジャパンの象徴として地方創生の核に
環境省の発表によると、国立公園を訪れた外国人観光客は2016年に初めて500万人を超え約545万7000人に達したそうです。2015に比べて50万人以上増加したとのこと。

最も多かったのは断トツで富士箱根伊豆国立公園の257万7000人で全体の半分を占めています。2番目は支笏洞爺(北海道)で82万7000人、3番目は阿蘇くじゅう(熊本県、大分県)で67万5000人。

国・地域別では中国からが最多で約204万人、訪問先は富士箱根伊豆が約155万人。韓国からは約80万人で、阿蘇くじゅうが約48万人。台湾は約118万人で、支笏洞爺に約29万人が訪問したそうです。ちなみに米国は約19万人で富士箱根伊豆に約10万人が訪れたとのこと。

2020年に訪日外国人4000万人を目指す政府の観光ビジョンの一環で、環境省は昨年度から「国立公園満喫プロジェクト」を始めました。北海道の阿寒国立公園や沖縄の慶良間諸島国立公園など8カ所がモデル地区に選ばれています。

2020年までに外国人観光客1000万人の国立公園来訪を目指しており、これらの国立公園では、訪日客向けの観光ツアー開発やガイド育成、高級ホテルの誘致、多言語に対応した情報提供など、官民が連携した取り組みが本格化しているようです。

外国からの「インバウンド」は数自体の増加傾向とともに、日本各地の伝統文化や芸能、自然などを体験する傾向が強くなるなど質的な転換が進んでいるようです。

2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催に向けこの傾向はますます強くなると予想されます。

多くの外国人観光客に「クールジャパン」を堪能してもらえる夏休みになると良いですね。国立公園を核とする地方創生にパブリック・リレーションズ(PR)が役立てできればうれしい限りです。

投稿者 Inoue: 18:01

2017年07月13日

グローバルビジネス学会2017年度「研究発表会」から
〜岐阜長良川で地方活性化をテーマに28名が研究発表

皆さんこんにちは、井之上 喬です。

九州北部を襲った記録的な豪雨で、福岡県と大分の各地で多大な被害が出ています。被災者や関係者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

週末の7月9日(日)に私が副会長を務めるグローバルビジネス学会(丹羽宇一郎会長/小林潔司理事長)の2017年度「研究発表会」 (実行委員長:高木朗義岐阜大学教授)が岐阜の長良川で実施されました。岐阜大学との共催により「地方活性化とグローバルビジネス」を統一テーマに岐阜市の「長良川うかいミュージアム」(写真左)を会場に催されました。

写真右は左からグローバルビジネス学会の小林理事長、丹羽会長と筆者

このミュージアムは、2012年8月に伝統文化である「長良川の鵜飼」の価値を分かりやすく紹介・情報発信する場として岐阜市長良鵜飼屋の地に誕生したものです。

長良川に面した会場は自然を生かした設計で、金華山頂上の織田信長ゆかりの岐阜城を眼前に仰ぎ見ることができます。

天気に恵まれた研究発表会には昨年を上回る28件の発表が行われ、活発なディスカッションが続きました。

私は、「地方活性と教育」をサブテーマに午前中に行われた5つのセッションのモデレータを務めました(写真右)。その概要をシンプルにご紹介します。詳細は、下記グローバルビジネス学会ホームページの「予稿集」をご参照ください。
http://s-gb.net/seminar_studygroup/2766/

■映画制作体験授業など
1)「実践型インターンシップを通じた地域産業のイノベーションの実現」
南田修司 NPO法人G-net

少子高齢化、生産年齢の人口減少など地域が抱える課題は根深く長期的視点では、産業活性と担い手となる人材確保に大きな課題があるとしています。

こうした状況の中で、双方を両立するプログラムとして実践型インターンシップが効果をあげています。岐阜に拠点を置くNPO法人G-netが取り組む実践型インターンシップ「ホンキ系インターンシップ」の実践事例をもとに企業側、若者側の効果について発表。

2)「アクティブ・ラーニング型講座のオンライン化による学習効果」
炭谷俊樹 神戸情報大学院大学 学長

多くの双方向対話を必要とするアクティブ・ラーニング型講座はオンライン学習には不向きとみなされてきましたが、最近のインターネットベースのビデオ会議システムは、遠隔地に散らばった参加者間のリアルタイム双方向の会話や小グループでのディスカッションをも快適に行うことができるとしています。

このようなビデオ会議システムの一つである「ZOOM」を用いて、アクティブ・ラーニング型の講座「ナビゲーション講座」のオンライン版を実施し、その学習効果について発表。

3)「映画製作が寄与する社会人基礎力の向上の考察」
古新舜 コスモボックス株式会社 代表取締役

文部科学省は2014年、教育現場における「アクティブ・ラーニング」の導入を提言。これは社会の多様化やグローバル化が進む中,主体的・対話的な深い学びを教育現場で実践するあり方であるとしています。

古新さんは、このアクティブ・ラーニングについて映画制作を通じて行っているPBL(Project?Based?Learning)、すなわち課題解決型学習を通じて本活動を実践することで、学修者の主体性、協調性を引き出し、社会人基礎力の向上に如何に寄与できるかを考察しています。

■新しいパラダイムが求められる日本の教育
4)PlanE:Checklist for Japanese University Undergraduate System Paradigm Shift
八木 エドワード 麗澤大学 教授

日本の教育は、大学に問題点が山積していと指摘しています。八木さんによると既存の改革のパラダイムは失敗し、新しいパラダイムが求められているといいます。

日本の大学のゆるさだけでなく、大学入学試験の問題、t-スコア(偏差値)へのこだわり、塾制度、学術分野や行政における英語力不足、そしてグローバル経済に要求される批判的思考、コミュニケーション能力や語学スキルも大きな問題になっているとのこと。

これらは八木さん自身が大学院で学ばれた経験や4人のお子さんの通学(保育園から高等学校)から得た知見、国内大学・大学院で教鞭を取られたことなどの実体験に基づくお考えのようです。


5)梅田眞司 Social Design Laboratory
「フィンランドの教育の体現による、学びの意欲向上」

この研究の目的は,フィンランドの教育のあり方をクラスに体現することにより、日本の教育現場においてもその教育のあり方が学習者の学習意欲の向上や脱落者の防止に有効であるかを模索することにあったといいます。

最終的に一部の測定項目においていわゆる進学校の生徒たちの出すアウトプットと遜色のない結果が認められたといいます。この一連の活動を通して、生徒たちの学習意欲の向上が認められ、脱落者防止に寄与する結果が得られたとしています。

話は外れますが、「4)PlanE」をプレゼンテーションいただいた八木さんとは何と20年ぶりの偶然の再会となりました。当時私は、1994年10月に決裂した日米自動車・同部品交渉においては、米国大手自動車部品メーカー、テネコオートモティブのPRコンサルをしていた時期で、八木さんはキャリア外交官としてアメリカ大使館の経済担当で、いわばカウンターパートでした。

外国人の研究発表の中には、日本の大手企業の現状について「いまだ20世紀の成功モデルを追いかけ、沈みゆく巨艦タイタニック号で、その危機にも気づかずに蝶ネクタイをした楽団員が演奏を続けている」と厳しくコメントし、オーナー経営者の多い地方企業への期待を表すものもありました。

紙面の都合で全てを紹介できないのが残念ですが、トランプ政権とアメリカ議会についての発表や最新の冷凍技術による日本の農林水産業の強化などいずれも興味深い内容の発表が盛り沢山でした。

今回の「研究発表会」でのそれぞれの研究成果を聴くにつけ、グローバル化、ハイパー化が加速する中にあって地方活性化のために強力な推進力を持つパブリック・リレーションズ(PR)がますます重要な役割を担っていることを改めて実感しました。

大会前日の懇親会は長良川名物の鵜飼の篝火(写真)を楽しみながらのバーベキューパーティーで地方都市ならではの学会大会を満喫することができました。


そして20年ぶりとなる偶然の再会や発表者それぞれの地方活性化への思いを熱く感じながら、岐阜市での一日が過ぎていきました。


投稿者 Inoue: 17:51

2017年07月04日

創業から半世紀に及ぶ井之上PRのヒストリー
〜私の回想を基に前・中・後編の3部作で紹介

皆さんこんにちは、井之上 喬です。

今日(7/4)は、私の経営する会社(株式会社井之上パブリックリレーションズ:井之上PR)の創立47回目の記念日。夕方から昨年末移転した新オフィスのバルコーニを主会場に社員、そして日頃から親しいお付き合いのある方々をお招きして、お祝いします。今から楽しみです。

また、タイムリーに私の回想に基づいて創業から半世紀に及ぶ井之上PRのヒストリーの3部作が順次ネット上にアップされ、先週末に最終回(3作目)が公開されました。当社HP( http://www.inoue-pr.com/ )からも、また、このブログ中見出しの下に記されるサイトから直接全容を閲覧することもできます。

長年にわたってパブリック・リレーションズ(PR)が組織体にとって重要な経営資源であるとし、ステーク・ホルダーとの望ましい関係構築づくりを軸としたPRのありようを追究してきました。その生成・発展の歴史をこのPRストーリーから少しでも感じ取ってくだされば嬉しく思います。

写真左は、会社を立ち上げて間もない頃、忙中の閑に子どもたちと過ごす私(1972年:軽井沢)。中央は1980年代当時にオフィスのあった「松岡九段ビル」(東京都千代田区九段上)社長室での私で、右は近影。

半世紀に及ぶ当社のヒストリーを先ずは私のポートレートで紹介させていただきました。これらを見るだけでも50年に及ぶ様々な事象が走馬灯のように脳裏に浮かんで感慨に堪えません。創業時の私は、随分とスリムで今のイメージとは乖離があるようですね。

それでは、それぞれ5000文字に及ぶ3部作(前・中・後編)の構成や特筆すべき事象などの概要につき紹介していきます。

■第1作目(前編)「PR黎明期に現れた“戦略家”」
https://www.pr-table.com/inouepr/stories/630

創業時は企画会社として様々なプロジェクトを手掛けますが、やがて自分がやっていることは戦略立案に基づいたPRであることを確信するに至ります。日本のPR黎明期に、「パブリックリレーションズ(PR)」の原型をつくり上げていきます。

また、当時パブリシティ主流のPR業界で、メディアとの関係はどうあるべきか、メディアとの間に対等な関係を構築する手法、いわゆる「メディア・リレーションズ」について、この時期から私は真剣に考えはじめるようになりました。

そして、「自ら媒体になろう!」という結論に達しました。メディアに対して自らメディアの目線で情報発信力をもつことで、依頼される仕事のパブリシティ効果を高めようとしたのです。

「自ら媒体になる」と決意した私は、1970年半ばから後半にかけて活字媒体での編集機能と電波媒体での番組制作の2つの機能を併せもつことを考え、実行に移しました。編集機能では、大手の出版社と組み、自社が外部編集プロダクションとなるため「井之上アートプロダクツ」の中に編集部門を設けました。

もう一方は、ラジオ・テレビの電波機能をもつための請負の番組制作会社PMC(パシフィックミュージックコーポレーション)を子会社として立ち上げました。PMC制作のラジオ番組は、大手国内自動車メーカーがスポンサーとなり、年4回取材チームをアメリカに派遣し、現地FMステーション巡りをするといった当時のラジオ局最大の番組「アメリカ音楽地図」(FM東京)で、12年間も手がけることになりました。

様々な大手企業から依頼を受け、いつしかスタッフも、30名近くになっていましたが、私は、広告代理店やプロダクション的な仕事に強烈な違和感を覚えPRへの志向性を強めて行ったのです。

こうした背景もあって、創立つ時の社名「井之上アートプロダクツ」を1982年1月1日から「井之上パブリックリレーションズ」と変更しました。

第1作目(前編)では、下記4つのトピックで構成されています。

1)企業にとっての「パブリック・リレーションズ」とは?

2)入社3か月半で独立、「企画会社」としてスタート

3)「二度とこんな思いはしたくない!」大成功を収めたパブリシティの裏で

4)自分たちの仕事は“戦略家”――パブリック・リレーションズの会社へ

■第2作目(中編)「世界的企業との邂逅」

https://www.pr-table.com/inouepr/stories/640

1970年代後半から80年代にかけて、井之上PRは、戦略的PRの基本的なモデルプランを確立していきました。 そのきっかけとなったのは、世界的企業となったシリコンバレーのベンチャー、インテルやアップルとの出会いです。大きなターニングポイントを迎えた私は、PR自身が持つ“戦略家”としての役割を果たしていくことになります。

アップル社のPRコンサルティング業務を通して、井之上PRはパブリック・リレーションズの基本的なモデルプランを確立することができました。それは35年以上が経過し、インターネット時代といわれる今日においても色あせず、活用することができる普遍的な手法です。

さらに私は、海外企業との取引に注力するようになっていきます。狭い目線で自分たちの利益を追求するのではなく、世界の市場を一元化して考え、ビジネスを展開していく――インテルやアップルの出会いを通して学んだものです。

第2作目(中編)は、下記4つのトピックで構成されています。

1)世界的な大手企業の日本進出が、会社としての大きなターニングポイントに

2)海外の専門家によって確かに裏付けられた、会社として果たしてきた役割

3)「ただ商品を売るのが仕事ではない、企業の成功が自分たちの価値になる」

4)色あせないビジネスモデル確立の裏で、生まれていた組織としての課題

■第3作(後編)「次世代を担う若者たちへ」

https://www.pr-table.com/inouepr/stories/641

1970年の創立以来、「パブリック・リレーションズ」を追求し続けてきた井之上パブリックリレーションズ。90年代に世界経済に影響を与えた案件(日米通信摩擦や日米半導体摩擦、日米自動車・同部品交渉)への関与を経て私は、井之上PRが現在も重視している「倫理観」、「双方向コミュニケーション」、「自己修正」という3つのキーワードにたどり着きました。

特に1994年10月に決裂した日米自動車・同部品交渉においては、米国大手自動車部品メーカー、テネコオートモティブのために国内市場で実施した自動車補修部品市場における当社の「規制緩和プログラム」が市場開放と新たなビジネス機会の創出に貢献したとして「グランプリ」に輝きました。この受賞は日本だけでなく、アジア初となるものでした。

井之上PRヒストリーの最終編となる第3作は、下記4つのトピックで構成されています。

1)パブリック・リレーションズの普及を阻む、日本の「阿吽の呼吸」

2)イチ企業のPR戦略を超え、国家間の経済摩擦解消に貢献

3)私益よりも公益を優先――「自己修正」の重要性を実感した瞬間

4)半世紀の時を経て、次世代を担う人材にバトンを受け継いでいく

1970年の創業以来、約半世紀にわたってパブリックリレーションズ(PR)の知見を積み重ねてきた井之上PR。私は、2016年に会長(CEO兼務)に就任し、現場の一線から退いた今、その膨大な知見を次世代へ受け継がせていくという大きな役割を担っています。

「寄らば大樹」で誰しもが組織に帰属していた時代に3か月半で会社を退職し、がむしゃらに目的に向かって歩んできた私の生きざまも感じ取ってくださればありがたく思います。

投稿者 Inoue: 10:36