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2013年08月29日

日本の最高気温も最低気温も「41度」
?CO2問題解決は待ったなし

こんにちは、井之上 喬です。

8月も最終週となりましたが、まだまだ猛暑が続くようです。今回のブログでは、この夏の記録的な猛暑についてお話します。

今年8月には暑さの記録が次々に塗り替えられました。特に夏の甲子園が開幕した8日以降、その傾向が顕著になったようです。

高知の四万十市で8月12日午後1時42分に日本最高の41.0度を記録しました。2007年8月に埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で記録した40.9度を6年ぶりに更新。

この四万十市の新記録によって、日本は最高気温も最低気温も数字は「ジャスト41度」になったとのこと。ちなみに最低気温の氷点下41度は、1902年1月25日に旭川で観測。

■猛暑日の地点数も新記録
この夏に従来の最高気温を更新したのが観測史上5位にランクされた甲府(40.7度)と8位の勝沼(40.5度)でした。

また、最高気温の新記録が出ただけでなく、この夏は「暑い地点が多い」というのも特徴だそうです。観測点927の中で気温35度以上の猛暑日を数えると、8月7日から20日まで1日も途切れることのない地点が100を超えたとのこと。

これまでで最も暑い8月となっている2010年でさえ、猛暑日が100地点を超えて続いたのは9日間が最長。このデータと比較しても、今年の8月がいかに暑かったか実感できます。

この猛暑は太平洋高気圧が居座り、上から覆いかぶさるようにチベット高気圧が張り出して背丈1万メートルにも及ぶ「2階建て」構造に加え、上空の偏西風の蛇行などの影響で内部を吹き降りる空気の流れが強められ、地表付近で圧縮・加熱されて気温を押し上げることが原因とされています。

気象庁は先週、9?11月の3カ月予報を発表。それによると9月の平均気温は、北日本(北海道、東北)と東日本(関東甲信、北陸、東海)で平年より高く、西日本(近畿、中四国、九州)と沖縄・奄美でも高くなる傾向にあるとしています。

今夏は「4年連続暑い夏」といわれていますが、過去3年は秋のお彼岸ごろにパタッと真夏日(日中の最高気温が30℃以上の日)の地点が減っているそうです。

「暑さ寒さも彼岸まで」。今年は9月23日が秋分の日(お彼岸の中日)ですから、もうしばらくは、残暑とお付き合い…ということになればいいのですが。

■待ったなしのCO2対策
8月19日の中国新聞社説では「止まらぬ猛暑 一歩先を見据え対策を」という見出しで次のような記事を載せています。

「日本の夏は亜熱帯化しつつあると指摘されている。(中略)東京都や大阪市など日本の大都市の平均気温はこの100年で2?3度上がったとされる。」とし、同時期の地球全体の上昇温度0.7度と比較し、その急ピッチぶりが尋常ではないことを指摘。

また、「環境に多大な負荷をかけてきたのは、快適で豊かな生活を求める私たち自身にほかならない。」とし、官民挙げて技術と知恵を絞ることの必要性を訴えています。

さまざまな産業で消費する石化エネルギー。航空機や、車、冷暖房など利便性をひたすら追い求めてきた人類が、事の重大性を認識しながらも、CO2対策を先延ばしてきたことは否むべくもありません。

猛暑問題だけではなく、この1週間をみても、全国的な広がりを見せる集中豪雨。温暖化による異常気象は日本だけでなく世界中を覆い、人類には問題解決のための英知の結集が喫緊の課題として求められています。

こうした中で繰り返される福島第一原発事故処理の不手際。原発からの汚染水漏れはその処方すら定まらず、地震大国日本が直面する放射能廃棄物の半永久的な保管問題なども考えると、人類、とりわけ日本にとって、制御不能なエネルギーであることは疑う余地はありません。

「生物体は恒常性維持のために、外部環境の変化に自らを調整・適応しなければならない」とするW・キャノンの言葉がいまこそ心に沁みこんできます。

また経済大国の日本にとってエネルギー問題はクリティカルです。いま国家が総力をあげて取り組むべきテーマは、将来の水素社会を見据えたCO2ゼロの再生エネルギーへの真剣な取り組みではないでしょうか。できることは何でも実行し、地産地消型のエネルギー確保を国を挙げて行うことだと思うのです。

このようにCO2問題は日本だけの問題でなく地球的規模で取り組むべきクライシス・コミュニケーションに属するテーマだと思います。危機状況が拡大する中で、私たちパブリック・リレーションズ(PR)の実務家に寄せられる期待と課せられた責任には大きなものがあります。

投稿者 Inoue: 10:22 | トラックバック

2013年08月22日

あなたは「ゆるキャラ」いくつご存知ですか?
?地域のスターが全国区の人気者に

皆さんこんにちは井之上 喬です。
これまでに経験したことのないような厳しい残暑が続いていますが皆さん体調管理は万全ですか?
私も短い夏休みを終え、秋の収穫期に向けさまざまな夏場の種まきに精を出しています。

先日、出張で長野に伺いました。短い滞在でしたが帰りの電車に乗り込む前に土産物店をのぞいてみるといま流行の「ゆるキャラ」長野県観光PRキャラクター「アルクマ」君商品を目にしました。日本アルプスを歩くクマのキャラクターが、防寒のためか赤いリンゴの帽子とリュックを背負っている緑の愛らしいクマちゃんでした。

そう言えば全国、どこに旅行をしてもご当地キャラクターにお目にかかりますね。大げさに言うと日本の新しい文化なのかもしれません。

■ゆるキャラ三条件とは
Wikipediaによると、ゆるキャラとは「ゆるいマスコットキャラクター」の略で、イベント、各種キャンペーン、地域おこし、名産品の紹介のような地域全般の情報PR、企業・団体のコーポレート・アイデンティティなどに使用するマスコットキャラクターのことだそうです。
もともとは漫画家・エッセイストのみうらじゅん氏が考案したとされ、みうらじゅん氏の著作物であるとともに扶桑社とみうらじゅん氏が所有する商標でもあります。

皆さんは、ゆるキャラというとどのキャラクターを連想しますか?くまモン、ひこにゃん、バリィさん、それとも今人気急上昇中のふなっしー・・・・・・

みうらじゅん氏は、あるキャラクターがゆるキャラとして認められるための条件として次の三つの条件を挙げています。
1.郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
2.立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
3.愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。
このゆるキャラ三条件に加え「原則として着ぐるみ化されていること」も条件に挙げています。

盛り上がりを見せているゆるキャラを競うイベントも開催されており、今週8月19日(月)からは第4回目となる「ゆるキャラグランプリ2013」(主催:ゆるキャラグランプリ実行委員会)のエントリーが開始されました。

参加資格は、「まちおこしの為に頑張っているキャラクター」で特定の地域のみに所属しているキャラクター、着ぐるみを持っているキャラクターに加え今年は企業枠も設けているようです。

今後の予定を見てみますと9月17日に投票開始、9月30日にエントリー終了、11月8日に投票終了、11月24日(日)に表彰セレモニーがゆるキャラさみっとin羽生で行われるとのことで、3カ月にわたる長丁場のイベント。

■ゆるキャラが地域、企業そして日本を元気にする!
今年のテーマは1)「ゆるキャラで地域を元気に!」 2)「ゆるキャラで会社を元気に!」3)「ゆるキャラで日本を元気に!」だそうです。

2011年のくまモン(熊本県)、2012年のバリィさん(愛媛県)に続き2013年のグランプリがどのゆるキャラの頭上に輝くのか大いに注目されるところです。

しかし、これほどご当地キャラクターが登場する国は世界にあるのでしょうか。ゆるキャラグランプリ2013のホームページには「日本には昔から八百万(やおよろず)の神がいると言われています。

山には山の、海には海の、川には川の、森には森の、木には木の、花には花の、それぞれ神様が宿っていると」ゆるキャラさんも日本中にいて地域に根ざした活動をしている、それぞれの地域のスターとして頑張っているゆるキャラの1年に1度のお祭りです、とあります。

なるほど上手い盛り上げ方ですね。特定の地域のゆるキャラを全国区の人気キャラクターに育てる。

そういえば一昔前のスター発掘番組も同じような手法で大いに盛り上がっていたような気がします。時代は違いますが何か共通点があるのかもしれません。

全国的に広がるゆるキャラブーム。地方はゆるキャラをPR素材としてさまざまなキャンペーンに活用しているようですが、その出現の背景には、厳しい管理社会のなかで人々が心の癒しを求めているのかもしれません。

投稿者 Inoue: 17:50 | トラックバック

2013年08月15日

『ある終戦工作』から
?20世紀最大のスクープ「ポツダム宣言受諾」

こんにちは、井之上 喬です。猛暑の続く中、皆さんいかがお過ごしですか?

今日は68回目の終戦記念日。私は、今年も亡き母のふるさと愛媛県の弓削島で終戦記念日迎えています。

今回のブログは、『ある終戦工作』(中央公論社、1980年)を題材にしています。著者の森元治郎さん(1907?1999年)は、昭和6年から終戦にいたる激動の時代を通信記者(新聞連合社、同盟通信社、共同通信社)として大陸の熱河省、河北省への侵攻作戦に従軍、欧州ではワルシャワ支局長としてナチス・ドイツのポーランド侵攻などを中心に取材しています。

昭和15年の帰国後は、外務省嘱託としても開戦にいたる日米交渉から終戦の舞台裏に立会っています。戦後、片山首相の秘書官を経て、故郷の水戸を地盤に参議院議員(社会党)を3期務め、日本国連協会理事や日本ポーランド協会会長などを歴任することになります。

■「国家最大の機密」の扱いに迷い悩む
森さんは、自著『ある終戦工作』の中でスクープ当日の行動をこう記しています。「私は九日夜から外相(東郷茂徳:筆者注)が帰省されるのを待ちつつ、とうとう外務省で徹夜してしまった。大臣は十日の四時ごろ本省に戻られたらしいが、私は気付かなかった。昼近くになって、松本次官から『やったよ』と告げられた。」。日本政府がポツダム宣言を受諾したのです。

「政府から元首相らの重臣に説明が行われたのが午後三時というから、私がこの重大事件をキャッチしたのは、三時間以上も早いことになる。おそらく部外者でこの時間にこれを確実に知ったのは、日本中探しても俺が一番先じゃないかと、記者根性が頭をもたげた。」

「つかんだ情報は、温めることなく公けにするのが記者本来の任である。」しかし、記者である半面、「外務省嘱託」という身分もあり、この「国家最大の機密」をニュースとしていかに扱うか迷い悩んだ様子が描かれています。

また、本土で決戦と狂気の如くはやる陸軍や海軍の第一線将兵が、なんの前触れもなく突然にこうした情報に接したならば暴発して大混乱に陥るのではないかという懸念もあったようです。

彼は日比谷公園をぶらつきながら本社へ向かう道々、「これを速かに内外に知らせ、既定事実をつくることによって終戦を決定づけることが、かえってお国のためだ」と思い直し、長谷川局長をつかまえ、「ポツダム宣言は受諾に決ったから、これをすぐ海外放送に入れてくれ。お国のためだ]と催促したといいます。最終的には、森さんの記者としての本能が勝ったということでしょうか。

長谷川局長は「よし、やろう」と快諾。安保長春英文部長をよびつけ、すぐタイプに向って“Japan accepts Potsdam Proclamation.”(日本はポツダム宣言を受諾せり)と打った(モールス信号)ものの、長谷川局長にも迷いが生じてすぐには打電できずにいたようです。

結局、20世紀最大のスクープといわれる日本の「ポツダム宣言を受諾」のニュースが世界中を駆け巡ったのは同日午後8時過ぎ(日本時間)になったようです。

『ある終戦工作』の事実関係を客観的に裏づける記事が、地球の裏側のブラジルで発行されている「ニッケイ新聞」に掲載されています。同紙はブラジル・サンパウロ市で発行されている移住者や日系人・駐在員向けの日本語新聞(週5回で発行部数約1万部)。

興味深いことに、この20世紀最大のスクープといわれる「ポツダム宣言の受諾」について、同紙の2008年8月12日付コラム「樹海」では以下のように報じられています。

広島と長崎の「原爆の日」も終わり8月15日が近づく。あの暑い日の正午。昭和天皇の玉音放送があり国民たちは涕泣した。米英中ソのポツダム宣言を受諾すると決めたのは8月9日に皇居で開かれた御前会議であり、10日の午前にはスイスの日本大使館に公電を発し米英への通告を指示し、玉音放送の原盤を運ぶ迫水久常書記官長の秘話もある

秘話はまだある。同盟通信(戦後に共同通信と時事通信になる)の外務省担当記者・森元次郎氏が「ポツダム宣言を受諾」の大スクープをやったのである。10日の午前中に外務省の英米課にいくと、課員が1通の書類を取り出し表紙を上にして机に置く。英文だが、そこには御前会議でポツダム宣言を受諾―とある。2人は言葉を発しない。目で語り合い、全てを了解する

帰社した森は上司の長谷川才次海外局長(後に時事通信社長)に報告する。当時は陸軍の検閲があり、報道も自由ではない。このような国家の最高機密を通信社や新聞が掴んだとなれば、当然、大騒動になる。長谷川局長は「本当か」と言い、どのように発表しようかと頭を痛める

そして、海外放送を使い英文で放送することに決める。この原稿が同10日の午後8時10分すぎから「日本はポツダム宣言を受諾せり」と世界に流れた。トルーマン大統領も「傍受機関から報告があった」と記しているし、ロンドンもパリの市民も大喜びし街路で踊り狂った。まさに歴史的なスクープであり、マスコミでは今に語り継ぐ。敗戦の責任を取り介錯無用と割腹した強硬派の阿南惟幾陸相の自裁もあるし、終戦の頃の哀話は多い。(遯)

日本政府からのポツダム宣言正式受諾は、電報でスイスとスウェーデンの日本公使館経由で連合国側に通告されたのですが、トルーマン大統領が同盟通信からの情報に最初に接したというのも驚きですね。

この記事を読んで、当時の厳しい検閲体制の中で英語ニュースとしてスクープした森さんの知恵と勇気に驚嘆させられます。

■時代を超えた人間のネットワーク
森さんが外務省詰め(霞クラブ)になった昭和8年当時には、外国特派員たちが外務省を舞台に盛んな取材活動をしていたようです。

ソビエトのスパイ容疑で処刑されたリヒヤルト・ゾルゲも常連の一人で、いつもよれよれの洋服を着ていたが、眼の鋭い精悍な感じのする男だったとその印象を語っています。

大物はなんといっても、ニューヨークータイムズ兼ロンドンタイムズ特派員のヒュー・バイアス。記者会見にはほとんど出ないで、彼はひとりで外務省にやって来ては、まっすぐ重光葵外務次官を訪ね、個別取材していたようです。

他には、記者会見ではいつも一番前を定席にしていたソビエト国営タス通信社のナギ。そしていつも陽気なUP通信社のマイルス・ボーン(「ボーン上田記念国際記者賞」は彼の生前の業績を称え設けられたもの)が紹介されています。

また第二次大戦中、M・ボーンがニューヨーク支局にいたときの部下が、戦後GHQの民間情報教育局(CIE)情報部長に就いたドン・ブラウンで、パブリック・リレーションズ(PR)を日本に導入した関係者の一人。1949 年に民間情報教育局主催の「広報講習会」で講義を行っています。

私の著書『パブリックリレーションズ』(日本評論社、2006年)で「全国の行政機関でPR部門設置が整いつつあった1949年、GHQ民間情報教育局は中央官庁の職員に対しPR講習会を開催した。」と記していますが、その講師の一人がM・ボーンの部下のドン・ブラウンだったようです。

森さんの著書の中には、私たちが歴史で学んだ政治家や官僚が多く登場します。また、私たちの先駆者で名前しか知らないマスメディア関係者やジャーナリストが生き生きとした存在として登場します。

時代を超えた人間のネットワークが、パブリック・リレーションズ(PR)の歴史に関わっていることを読後感として強く心に残りました。

戦後68年も経って戦争体験が風化していくことは否めない事実です。終戦記念日の今日、悲惨な戦争体験や終戦の秘話を掘り起し、「戦争を知らない世代」に平和であることの尊さを知ってもらうことも私たちパブリック・リレーションズ(PR)専門家の役割だとその思いを強く持ったのでした。

投稿者 Inoue: 12:02 | トラックバック

2013年08月08日

展示会でみたホットな太陽光発電市場
〜地域に根差した中小規模分散型エネルギーシステムを

皆さんこんにちは、井之上 喬です。

いよいよ8月、海に山に暑さに負けず夏をエンジョイしていますか。

8月6日に広島、そして8日に長崎では原爆が投下されてから68年を迎えます。被爆者の平均年齢は79歳に迫っているとのこと、悲惨な被爆の記憶と核廃絶の願いを次の世代に如何に継承するのか私たちの大きな課題になっています。

朝日新聞8月6日付け夕刊では、広島で行われた平和祈念式典に2012年に引き続き福島県浪江町の馬場 有町長が参列し、「原発事故を忘れてほしくない」と訴えたことを紹介。福島第一原発事故の記憶が風化することを心配する記事が印象的でした。

2011年の東日本大震災以降、太陽光、風力、地熱などの自然エネルギーの活用が注目されています。その中で太陽光発電がこの夏、ホットな市場として注目されています。出力1メガワット以上のメガソーラー(大規模太陽光発電)システムが全国80カ所以上で運転・計画されており、その中には電力会社以外からの新規参入組も多いようです。

■盛り上がりを見せた太陽光発電システム展示会
7月24日から26日に東京ビッグサイトで開催されたPVJapan 2013(一般社団法人太陽光発電協会主催)には、初参加の86社・団体を含む過去最大規模の185社・団体が出展しました。

海外勢では中国をはじめ、太陽光発電先進地域のドイツをはじめとするヨーロッパからの出展が目を引きました。

太陽光発電市場の盛り上がりは、2012年7月にスタートした自然エネルギーの「固定価格買い取り制度」が大きく影響しています。

私が経営する井之上パブリックリレーションズは、今年もPVJapanプレスルームの運営を担当しましたが、今年は会期中に取材していただいた記者の数は昨年を大幅に上回る300人超を記録したようです。メディアの注目の大きさが数字にも表れていました。

朝日新聞7月25日の朝刊の記事では、買い取り制度が始まり2012年度の太陽電池の国内出荷量は前年度の2.7倍になったとのこと。

さらに米国調査会社のHISによると、世界3位の日本市場が2013年はドイツを超えて1位になるとの予測もあると、市場が急成長していることを紹介しています。

■欧州の二の舞を避け、新しいエネルギー政策の実行を
私も最終日に会場に足を運びましたが、従来からのソーラーパネルや周辺機材などの展示に加え、池に浮かんだメガソーラーシステム、太陽光発電と蓄電池そして家電製品を結び付けて電気を効率的に使う自立型の住宅、住宅と電気自動車の連携など新しい取り組みが会場の随所に見られました。

展示会場を回ってみて太陽光発電関連業界がいかにホットな市場であるかを実感できました。

しかし、同じ朝日新聞は「いまの活況はバブルだ」との懸念の声も紹介しています。その背景には買い取り制度が来年度の契約までは自然エネルギーを売れば必ず利益が出る価格になっていますが、2015年度からは必ず利益が出る価格を保証しなくなる点を指摘。

同紙はまた、買い取り価格の引き下げで太陽電池の需要が減り、結果価格競争に陥り世界最大手だったドイツQセルズが経営破たんに追い込まれた欧州の二の舞にならないようにと警鐘を鳴らしています。まさに指摘の通りだと思います。

東日本大震災による原発事故の影響は日本における再生エネルギー市場への取り組みを加速させています。

安倍政権は原発再稼働に向けた準備を進めているように見えますが、太陽光発電だけでなく、太陽熱、風力、バイオマス、地熱発電などさまざまな自然エネルギーの開発、実用化に向けた研究開発を加速することも新しい産業を創出、育成することにつながるのではないでしょうか。

これまでの大規模集中型に頼るのではなく、地産地消の地域に根差した中小規模分散型のエネルギー政策を本気で考えても良い時期なのではないでしょうか。

太平洋戦争はエネルギー戦争とも言われていますが、日本が総力を挙げて取り組み、世界の最先端をいく再生エネルギー生産国になることで、エネルギー輸出大国になることも可能になるはずです。

パブリック・リレーションズ(PR)の力を使ってその普及に努めたいと考えています。

投稿者 Inoue: 16:49 | トラックバック

2013年08月01日

京大MBAスクールが世界初の試み
?アジアにフォーカスしたグローバルビジネスリーダー育成

皆さんこんにちは、井之上喬です。

今日から8月に入りますが、4月から始まった私の担当する2つの講義が終わりました。

ひとつは、先日早稲田大学のオープン教育センターのゼミ形式授業「パブリック・リレーションズ特論」が千葉の鴨川での合宿を最後に終了。もう一つは、京都大学経営管理大学院の「アジアビジネス人材育成寄付講座」(Chair of Human Resource Development for Asian Business)です。

後者の京大ビジネススクール(MBA)講座は、今年4月から来年3月までの1年間にわたるもので日本の大手企業の俊英を受講生に今後急成長が見込まれているアジアでのビジネスリーダー育成を目的としています。

近年の国際環境は、米国のプレゼンスの低下や欧州経済の混乱により、先進諸国経済の先行きに不安を拡大させる一方、リーマンショックからいち早く立ち直ったアジア諸国の急速な成長と経済力拡大による「アジア市場の取り込み」は、進展するグローバル化の中でどの国の成長戦略にとっても必須要件となっています。

米国がアジア重視の姿勢を明確に打ち出した現在、日本企業がこれまでのアジアにおける事業活動を新たな次元に引き上げ、その対応力を抜本的に強化していくことは喫緊の課題になっています。
 
本講座ではアジア諸国の歴史や文化、ビジネス様式の理解と事業の企画・開発・推進、そして企業経営、社会貢献、人材育成、コミュニケーションなどの能力開発を通じて、日本とアジアの国々の経済・社会成長に資する受講生による日本型ビジネスモデル構築の実証研究が行われます。

講座の寄付者には三井住友銀行、野村総合研究所、大阪ガス、大林組、日本生命、三井住友海上火災、 富士ゼロックスが名を連ねています。

■世界初の現地ビジネススクールとの提携
本講座推進責任者で、経営管理大学院経営研究センター長の小林潔司教授は、「世界GDPのうち、非先進国が生み出すGDPは10年以内に50パーセントを突破する。 途上国の中所得者層の規模は2030年までに12億人規模に達し、途上国の中所得者層の人口が、アメリカ、ヨーロッパ、日本を合わせた総人口よりも大きくなる」と途上国とりわけアジア重視を強調。

また、「これまでの多国籍企業が1つの国際的デファクト標準(one-size-fits-all standard)を巡って競争するモデルから、それぞれの国の実情にあった新しいしなやかな標準 (one-finds-own-size standard) モデルが求められており、それぞれの国とのアライアンスに基づいて共同開発する戦略が求められている」と前述の新しいモデル構築の必要性を説いています。

本講座では、アジア各国の有力大学や現地ビジネススクールをはじめ行政機関、企業との連携やネットワーク構築を通し、効率的かつ迅速な人材育成教育の実現を目指しています。

そのために、アジア主要国のビジネススクール、政府機関、現地企業等から26名に及ぶ講師陣を招聘して、アジアビジネスをリードする卓越した人材育成のための教育カリキュラムを組み、教材の開発も進めています。

カリキュラムでは、英語集中研修や4つのテーマ(各国の状況、リーダーシップと人材管理、CSRパブリック・リレーションズ)を含むコアコンピテンシー集中講義を行います。

加えて受講生がアジア各国(初年度はタイ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、インド)に滞在し、現地企業・政府機関等との人脈構築、現地ビジネス環境などのフィールドリサーチを行う計画です。

この講座の特徴は、世界でも初めての試みとなる、現地ビジネススクールとの提携です。

講座の重要部分は現地でのインターンシップですが、現地でトップを走る提携先の拠点大学を経由して現地企業でインターンシップを行い、これまで取引先や日系社会としかネットワークを持たない日本企業が相手国大学を経由することにより、通常のビジネス活動では展開できないネットワーク形成を可能としています。

■京大ビジネススクールが西日本でトップ
社会人の間で「学び直し」への意欲が高まるなか、MBA(経営学修士)を取得できる大学院が関心を集めているようです。

日本経済新聞社と日経HRは昨年から「ビジネスパーソンが通ってみたいMBA大学院」について、「ビジネススクール調査」を実施しています。

今年は、全国の20?40歳代を中心とするビジネスパーソン1715人を対象に同調査を行っています。

その結果、首位は東日本が慶應義塾大学大学院の経営管理研究科(1477点)、西日本は京都大学経営管理大学院(1753点) が、2年連続して選ばれています。

東日本の2位は早稲田大学大学院商学研究科(1048点)、3位は一橋大学大学院商学研究科(841点)。西日本の2位は神戸大学大学院経営学研究科(1200点)、3位は同志社大学大学院ビジネス研究科(688点)。

私は前述した京大のアジアビジネス人材育成寄付講座で前述の4つテーマのひとつである、「グローバルビジネスの基盤としてのパブリック・リレーションズ」をテーマに5回の講義を担当しました。

グローバルビジネスの基盤となるパブリック・リレーションズ(PR)とは何か、また混沌とする社会にあって何故必要とされるのか、その背景をグローバルな視点で受講生の理解を深めることが主眼でした。

企業や組織では人材不足に陥ると、企業側の視点に立った即戦力となる人材の確保に走りがちになりますが、多様性が求められるグローバルビジネス環境では、異なる相手を理解し自己を主張できる豊かな「個」の確立した、人間力ある人材が求められます。

パブリック・リレーションズは、目的や目標をスムーズに達成するために必要な、「倫理観」、「双方向性コミュニケーション環境」、そして、「自己修正能力」の3つのグローバルビジネス人材に不可欠な基本要素を併せ持った手法。

ダイバーシティ(多様性)は倫理観のある双方向性環境の中で有効となり、相互理解のない異文化間の衝突は、自らの修正に至らず、国家間の戦争にさえ発展しかねません。さまざまなステークホルダーとの良好な関係構築づくりを通してリレーションシップ・マネジメントが行なわなければなりません。

大手企業で次代を担う人材として推挙された受講生。米国ビジネススクールのように、1年間まるまる勉学に没頭できる環境の中での講義は、昼間社会人として働き夜間や休日に受講する日本型MBAスクールと異なり熱気溢れたものでした。

その勉学態度だけでなく新たな知識の吸収力や応用力などには目を見張るものがありました。近い将来、この講座の受講生からアジアやグローバル・ビジネスにおけるリーダーが輩出されるであろう手応えも感じることができました。

京大の強みであるフィールドリサーチや研究手法も取り入れ、小林教授のリーダーシップのもとでこれまでにない斬新な教育コースの開発や、それを実現するスピードと事業力が、京大MBAスクールを西日本でトップの座に輝かせた証左といえなくもありません。

私が日頃口にする「時流の潮目を読む先見性」を実感できるプロジェクトでした。

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