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2007年08月24日

PRパーソンの心得 12  Win?Win 精神とは

人間は一人で生きていけません。かかわりの中で生きています。PRの実務家や組織に属する広報担当者は、そのかかわりを良好なものにしていく使命を負っています。双方が利益を享受できるWin-Win Situationsを実現するソリューションをクライアントに提供すること。これはPRパーソンに常に要求されることです。

■ 知恵を使い、それぞれの「輝き」を共有させる
Win-Win Situations とは、Win-Winの環境にあることを指し、相互の利益を実現する状況や状態を示す言葉です。この状況を作り出すWin-Winの精神は、相互が満足や納得できる解決策を見出そうとすること。そして、多種多様な存在が「勝つか負けるか」といった2分法のパラダイムではなく、合意の中で共生していく精神です。

PRパーソンの役割は、パブリック・リレーションズを行う上で当事者間のWin-Win環境を作り出すことにあります。PR会社の場合は、クライアントやターゲットとなるさまざまなリレーション先であるパブリック(ステーク・ホルダー)、そしてパブリックに情報を伝える媒介役としてのメディア、これらがそれぞれ利益を享受できる状況を整えなければなりません。

組織体における広報担当者にも同様なことが求められます。社長を初めとする経営陣と広報部門、広報部門と他の社内部門やグループ部門、広報担当者とメディア、PRコンサルタント。それぞれとWin-Winの関係を維持できるよう心がけねばなりません。

またPR会社にとってはWin-Win実現のために、その可能性を持ったクライアントを選択することが重要。そのためにはクライアントを深く理解すること。クライアントがどのような理念や目的で事業を行っているのか。トップ・マネジメントが持つ「輝き」を把握し、クライアントがターゲットとするさまざまなパブリックがどのような「輝き」を求めているのかを理解しなければなりません。その共通項がWin-Win環境を生み出します。

その上で、知恵を使いながら事実に基づいた情報をパブリックに提供し、パブリックの興味を引き出します。PRパーソンは常に、「どの角度からどのタイミングで情報発信するか」意識し、情報発信を行います。

■ リーダーシップがWin-Win環境を醸成
Win-Win環境の土台となるのは、双方向性コミュニケーション。クライアントとパブリック、PR会社とクライアント、クライアントやPR会社とメディアなど、当事者間の情報流通が対称性のある双方向性の形態であること、力関係に左右されないフラットな環境であることが重要です。

PRパーソンは、パブリックとクライアントのインターメディエータとして、双方の視点を同時に持つことが求められます。パブリックの様々な視点を持つことは、相互の利益を実現させる解決策を導き出だす上で役立ち、状況悪化の際にも速やかな判断を促し、自らを修正することを容易にします。

またPRパーソンは、ターゲットとなるパブリックから、クライアントに関してのネガティブなフィードバックが戻ってきた場合、あるいはパブリック対し苦しみを与える結果を引き起こす可能性のある場合には、クライアントにその状況を説明し、クライアント自らの姿勢転換を進言しなければなりません。

何がパブリックにとってWinであるか、またはLoseであるかを判断する基準は倫理観や良心に求めるべきです。Win-Win環境の基盤は倫理観にあるともいえます。その場限りの利益を求めて、メディアを欺き虚偽情報を流したり、自己利益の追求のためにパブリックを無視した行動をとることは、時として市場からの退場を迫られ、最終的にはクライアントを永続的な成功に導くことを困難にします。

いま世界はWin-Win環境を求めています。環境問題や民族紛争、宗教対立などの問題解決には、強いリーダーシップによるWin-Win環境の醸成が不可欠です。

人間の本質は喜びにあります。相手に喜びを与えることで自らも喜びを享受できます。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」これは『聖書』のマタイ福音書の一節です(マタイ7章12節)。互いに喜びを与え合うことは相乗効果を生み出し、より大きな喜びや利益を作り出し、輝きを持つようになります。

この世の真理に沿った行動が、21世紀のパブリック・リレーションズに必要です。PRパーソンは、個人的な信念としてWin-Win精神を自己の中に築き、強い個をベースにさまざまなリレーションズ活動を通してWin-Winの環境を実現させていかなければならないのです。

投稿者 Inoue: 19:56 | トラックバック

2007年08月17日

私の心に残る本9 『ビジョナリー・ピープル』
 ?200人の成功者が示す成功への道とは?

ビジョナリー・ピープル


こんにちは井之上喬です。
皆さんは夏休みをどのようにお過ごしですか?

今年の夏休みを私は瀬戸内海に浮かぶ愛媛県弓削島で過ごしました。島のトレードマークである石山、そして松原海岸とその入り江が見渡せる弓削ロッジでのんびり読書。手にした本は、『ビジョナリー・ピープル(原題:Success Built to Last?Creating a Life that Matters)』(2007、英治出版)。

時代を超えて成功する「企業」の条件を示した『ビジョナリー・カンパニー』(1995、日経BP出版センター)を知る人は多いはず。その共著者の一人、ジェリー・ポラスがスチュワート・エメリーとマーク・トンプソンと共に10年にわたり世界各国の200人以上の成功者にインタビュー。成功の原則を明らかにした本です。

■自分の愛することに集中する
本書に登場する人物はガンジーやグーグルの会長兼CEOエリック・シュミット、ヨーヨー・マなど幅広い分野で継続的に成功している人たち。著者はこのような人を「ビジョナリーな人」と呼んでいます。

そこに浮かび上がる共通点は、自分の愛することを生きがいとして全神経を集中し、どんな逆境にも挫けず自分の信じる道を突き進んでいること。成功という世間的な評価を手にした後も、自分の生きがいに情熱とエネルギーを注ぎ続け、継続的な目標達成をしていることです。

ネルソン・マンデラもその一人。彼は、南アフリカ共和国の反アパルトヘイト運動に参加し、1964年反逆罪で逮捕され有罪となり、終身刑の判決を受けました。収容所で彼を待っていたのは重労働や思想改造などの壮絶な圧力。マンデラはそのような逆境にも、人種差別のない祖国再建の夢を捨てませんでした。

27年の投獄生活を経て釈放されたのは1990年。なんとマンデラが71歳のときでした。彼は耐え難い苦痛を与えた政府に対し報復活動は一切せず、非暴力革命の指導者として、和解の道を選択しました。憎しみをも乗り越え、自分の夢の実現に邁進したのです。

当時の大統領デクラークと協力し、全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開催。そして暫定政府、暫定憲法を作成しました。93年にはその功績を称えられノーベル平和賞を受賞。翌年には黒人として初めて、南アフリカ共和国大統領に就任する快挙を成し遂げました。

■ 弱点と向き合い受け入れる
「永続的な成功をおさめている人は、自分の人生の目的に対する答えが、情熱的な愛情、あるいは苦痛のどちらか一方ではなく、 奇妙な調和を保って両方と向き合おうとする苦労の中に埋もれている、と気付いている」

成功者はその栄光が語られがちですが、その裏には多くの苦難を乗り越えたストーリーがあるものです。どうして苦痛に耐えられるのか。それは、彼らが自らの選択や決断によって人生を築いていると自覚し、自分の人生に責任を持って生きているから。

読書障害を乗り越え成功者となったシスコ・システムズCEOのジョン・チェンバースやヴァージン航空CEOのリチャード・ブランソンなどを例に挙げて、弱点と向き合い受け入れる苦痛の中から成功への道が開かれることを示しています。

日本人はとかく自分の弱点に蓋をし、見ないふりをしてしまうことが多く、弱点を受け入れることがうまいとは言えません。しかし、それを乗り越えたところに成功があるのなら、弱点を受け入れる価値はあるはずです。

「自分にとっての生きがいとは何か」

あなただったら何と答えるでしょうか。本書は「今それがある人は実にラッキー。それがない人も、生きがいを見つけられるまで果敢に挑戦を繰り返すことが幸運への早道なのだ」と読者に訴えかけているようです。生きがいを見つけるには、自分を見つめ、全てを受け入れること。この本は、自分の追求したい仕事や人生がどのようなものなのかを見つめ直す良い機会を与えてくれると思います。

私は、パブリック・リレーションズを通して少しでも「より良い社会を築く」という目標を掲げてこれまで生きてきました。35年のキャリアの中で他の職業選択のチャンスも多くありました。しかしどうしてもこの道に戻ってしまいます。

多様なクライアントと企業トップの意識を共有して問題解決を試みる過程は、まるで様々な役柄を演じる役者のようです。実務家として様々な角度から世の中をより良い方向に変えていけることへの可能性に、大きなと刺激と喜びを感じているからかもしれません。

今年の4月、弓削島に住む私の叔父が96歳の誕生日を迎える前に他界しました。入院する直前まで、一人で自炊し、自転車で島中を駆け巡り、日経新聞に目を通し、毎日日記を書くほど元気快活に生きていた叔父。

叔父は私が島に帰るといつも励ましの言葉をかけてくれました。そんな叔父の姿が見られないのはとても寂しいことでした。

どこまでも澄み渡る青い空の下、92歳の叔母と別れを惜しみ、今年も私の弓削島での夏が終わりました。

投稿者 Inoue: 19:41 | トラックバック

2007年08月10日

進化する3D仮想空間「セカンドライフ」
 ?井之上PRが米リンデンラボ社と包括的PR契約を締結

こんにちは井之上喬です。
猛暑のなかいかがお過ごしですか?

■新しい3D仮想世界の大きなうねり
セカンドライフ(Second Life)」は、米国サンフランシスコに拠点を構えるリンデンラボ社が運営する3次元の巨大CG仮想世界です。ユーザーは自分の化身、「アバター」を自由に操って動き回ったり、好みのアバターに身を替えて他のアバターに挨拶したり、会話を楽しみながら3D空間を自由に闊歩できます。また望めばSIMといわれる土地を購入しそこで自由に建物や施設、家具、衣料品、装飾品などを建設・デザインすることができる創造的空間です。

ユーザー自身の創作物はユーザー間で自由に売買できます。仮想通貨である「リンデンドル(LD)」(1ドルは約270LD)で売買でき、さらにリンデンドルを米ドルに換金できるようになっています。また、誰でも自由に建物や施設等を開発・構築できるオープンソースになっていて、スピーディかつ有機的な技術革新を実現しています。

ここ1年間で会員の数が激増。8月10日現在の全世界の住人総数は860万人を超えています。ネット上の新しい3D仮想空間であるこのセカンドライフにはさまざまな試みが行われています。みずほコーポレート銀行による仮想世界経済圏の08年の市場予測は、1兆2500億円。また、セカンドライフ人口は2億5千万人に達するとしています。

私が初めてセカンドライフに出会ったのは、まだユーザーが100万人に満たなかった昨年の秋、そのコンセプトとサービス内容に衝撃を受けました。それは70年代終わりに、それまで専門家にしか操作できないとされていたコンピュータの概念を打ち破り、初めて世界に発表した、アップル社の個人用小型コンピュータ、「アップルII」と出会った時の衝撃と同じものでした。セカンドライフは、近い将来日常生活の中に組み込まれ、さまざまな社会現象を生み出すことが想像されます。この大きな波の到来の予感は、私が70年代後半から80年代前半にかけて関わったインテル社やアップル社のときとよく似ています。

この8月から、私の経営するPR会社、井之上パブリックリレーションズは、リンデンラボ社と正式にPR(戦略広報)契約を結びました。
日本人ユーザーを拡大するため、業務はメディア・リレーションズからガバメント・リレーションズ、危機管理に至る広範なものです。

担当チームは、セカンドライフの持つ幅の広さと奥行きの深さを考慮し編成されました。メンバーは、アップル、インテルの日本進出時のPRを手がけた皆見剛(常務取締役)のスーパーバイズのもとに、NHKで記者をつとめ今年の4月にPRのもつ可能性にかけて入社した尾上玲円奈(アカウント・エグゼクティブ)、ITや金融分野で国際的に豊富な経験をもつステュアート・ベーカー(シニアVP)を中心に構成されています。

セカンドライフをインターネットの視点から捉えた場合、セカンドライフはweb.2.0を代表するソーシャルネットワーキングサービス、ブログなどの機能を持つ総合的なプラットフォームであると言えます。自分のアバターをとうして全てを体験するので、感情移入が可能となり、非常にリアルな感覚を味わうことができる3D仮想世界です。

リンデンラボ社の創業者・CEOはフィリップ・ローズデール。17歳でデータベース会社を設立した後、大学に進学。95年にはネット上のビデオ会議システム「フリービュー」を開発。そして99年、小さい頃から夢見ていた「現実のようなデジタル空間」を提供する企業、リンデンラボ社を設立しました。リンデンラボ社の株主には、アマゾンドットコムの創業者ジェフ・ベソス氏やロータス社の創設者ミッチ・ケーパー氏、イーベイの創業者兼会長ピエール・オミディア氏も名を連ねています。
セカンドライフには実に多くの企業や組織が進出しています。IBM、デル、インテル、コカコーラ、ロイター通信、ハーバード大学をはじめ、トヨタ、日産、ソニーそして最近ではフジテレビ、サントリー、慶応大学などが話題になっています。

企業や組織が現在注目しているのは、レピュテーションの向上やマーケティング活動、社内研修の場としてのセカンドライフのようです。そこではアバターをとうすことで、企業と消費者、従業員との関係がフラットになり、より本音が聞こえてくる空間があります。

■セカンドライフで自らの環境を創る
パブリック・リレーションズの視点から見たセカンドライフの特徴は、全てリアルタイムでおこなわれる双方向性コミュニケーション。セカンドライフではアバターをとうして世界中のさまざまな属性を持ったユーザーが同じ空間を共有することで、これまで実現し得なかったリアルタイムでの新しい関係性を持つことが可能となるでしょう。それゆえリアルタイム・コミュニケーションをどうマネージしていくべきかがこれからのPR専門家の戦略的課題となると考えています。

個人のレベルでいえば、外には働きに出かけられない人が在宅の仕事を得たり、お年寄りや身体の不自由な人が、自由にセカンドライフの街中をあるいたり、クラブで踊ったり、好きな場所への空中散歩やテレポートで自分のアバターを移動させることもできます。機能も日々進化していて、最近では3D音声チャット機能が導入されました。ユーザーにとって、音の発信源や距離感なども把握できる臨場感あふれる環境が実現しつつあります。

また、セカンドライフでは、ユーザーが快適に居住し中での生活を楽しめるように、人種や宗教、性別への差別や暴力行為などを禁止した基本的ルール、ビッグシックス(Big Six)が設けられています。ビックシックスの度重なる違反に対しては利用停止になることもうたっています。先月末には、セカンドライフのよりよい社会の実現のために、ギャンブルが禁止されたばかりです。

先日、リンデンラボ社の日本担当マネージャーで、セカンドライフ普及に努めてこられた土居純さんから面白いお話を伺いました。ある土曜日の早朝、電話の声の感じでは70歳ぐらいと思える男性からセカンドライフについて質問を受けたそうです。そのお年寄りは電話口で土居さんに、登録方法などについて立て続けに質問した後、最後に「私のように体がだめな人でもハワイのような所に行けますか?」と質問しました。土居さんが、「あ、行けますよ!」と答えると、そのお年寄りは「そう。ありがとう」と息を弾ませ電話を切ったそうです。電話が切れた音を聞きながら、土居さんは、このお年寄りとの素朴なやりとりに感動し、心が温かく包まれたそうです。

そう、誰もが今までやってみたかったことを実現させる空間。そしてさまざまな夢が有機的に結びつき、自ら新しいものを生み出していく空間。それこそがセカンドライフなのです。
これからどんな進化を遂げていくのか、面白くなりそうです。

投稿者 Inoue: 20:33 | トラックバック

2007年08月03日

映画『ヒロシマナガサキ』が私たちに語りかけるもの

毎年8月、この時期になると必ず、日本が経験した歴史的な日が訪れます。それは、広島・長崎原爆投下の日、そして終戦記念日。広島と長崎では、あのピカッという一瞬の光から発された放射線で約60万人が被爆しました。その85%は一般市民でした。

普通の人々が犠牲になった原爆。人の命を通して「原爆とは何か」を語りたい。日系3世の映画監督、スティーヴン・オカザキは25年間の構想を経てこの惨劇をドキュメンタリー映画として制作しました。『ヒロシマナガサキ』(原題:White Light/Black Rain: The Destruction of Hiroshima and Nagasaki)は、14人の被爆者と原爆投下に関与した4人のアメリカ人の生の声を通して、そこで何が起こったか、今でも何が起きているのかを浮き彫りにしています。

■10人の若者全員が45年8月6日を知らなかった
監督のスティーヴン・オカザキは1952年生まれ。カリフォルニア州で育った彼が原爆に関心を抱いたのは81年、サンフランシスコで被爆者に直接会ったのがきっかけ。 その後、英訳『はだしのゲン』(中沢啓治著)を読み衝撃を受け、広島、長崎の原爆投下についての関心を深めていきます。

91年には『待ちわびる日々』でアカデミー賞ドキュメンタリー短編賞を受賞。95年には全米国内での猛反発により中止されたスミソニアン博物館での原爆展に伴う映画製作が中止に。その後も彼は精力的にドキュメンタリーを制作。2005年には今回の『ヒロシマナガサキ』の序章ともいえる中編『マッシュルームクラブ』でアカデミー賞にノミネートされました。

「被爆者の話す言葉にこそ、真実がある」と考えたオカザキ監督。戦後60年、被爆した生存者たちが高齢となりその数が減っていく中、日本で500人以上の人に会い、取材を重ねました。原爆投下の政治的、学術的解釈をあえてそぎ落とし、彼らが体験した事実を通して語られる言葉には静かで強烈なメッセージが込められています。

私自身、小学校1年の夏から2年の夏までの1年間を広島市の爆心地近くに住んだ経験を持っています。原爆投下から6?7年経っていましたが、クラスメートにケロイドの傷跡を残した人が何人もいたのを覚えています。映画の中で、生存者の残した絵や当時の記録フィルムを見ていると、いつも笑顔だったクラスメートの苦悩が浮かび上がってくるようで、とても他人事とは思えませんでした。

愕然としたのは最初のシーン。監督が渋谷の街を歩く若者に1945年8月6日に何が起きたかを質問する場面です。 10人のインタビューの中で、一人もその質問に答えられる若者はいませんでした。歴史の風化をいきなり突きつけられました。

■体の傷と心の傷、両方の傷を背負いながら生きている
この映画には私が見たこともない衝撃的な映像もありました。

これまで日本政府は、太平洋戦争についての検証と総括を、国際社会の理解を得るかたちで十分に行なってきたとはいえません。また無差別爆撃となった原爆投下による被害実態を外国の指導者やその国民に伝える努力も怠ってきたといえます。

諸外国との対話(双方向性コミュニケーション)を通して、「原爆がいかに人間の生命や人生をも破壊してしまう凄しいもの」なのかに対する、アピール努力が不足していたことは否定できるのもではありません。このようなパブリック・リレーションズ不在により、国際社会から日本の被爆の実態が理解されずに今日に至っているともいえます。

映画の中で「その気になったら、知識と金さえあれば誰でも造るだろう」と原爆開発に携わった一人の米科学者の口から発せられた言葉は、世界の行く末を暗示しているようでした。

現在、世界では広島に投下された原子爆弾の40万個に相当する核兵器が存在していると言われています。原爆の真実を世界に伝えていくことは、唯一の被爆国である日本が人類の未来に対して負っている重大な責任だと思うのです。

『ヒロシマナガサキ』は被爆60周年の05年、アメリカHBOドキュメンタリーフィルムの依頼で製作が開始されました。HBOは、4000万人以上の加入者を持つ米国大手の有料ケーブルテレビ。この映画はヒロシマの原爆投下日にあたる今年の8月6日、全米でテレビ放映され、その後約1カ月間リピート放送される予定です。HBOによりDVDの販売もされています。

日本でも7月下旬から東京・岩波ホールや大阪・テアトル梅田など、全国で順次公開されています。

抑制の効いた作品に仕上げた、スティーヴン・オカザキはサンフランシスコで被爆者に会うまで、いまなおその後遺症に苦しむ人々が存在することへの認識はなかったといいます。

1945年8月のあの日、人生が一変してしまった被爆者たちにとって戦後はまだ終わっていません。

「体の傷と、心の傷、両方の傷を背負いながら生きている。苦しみはもう私たちで十分です、と言いたいですね」と、一人の被爆者の最後の言葉は全てを語っていました。

戦争で命を落とした犠牲者の魂が永遠に安らかでありますように。

投稿者 Inoue: 19:41 | トラックバック