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2006年09月29日

光り輝くサンディエゴ:
名著エフェクティブ・パブリックリレーションズの著者を訪ねて

■最後の著者、グレン・ブルーム
ワシントンDCから飛行機で半日、アメリカ西海岸の南に位置するサンディゴに入りました。スコット・カトリップ(Scott Cutlip)とアラン・センター(allen Center)により1952年に初版が発行され、現在第9版まで半世紀以上にわたって出版を続けるパブリック・リレーションズの名著、Effective Public Relationsの3人目の著者、グレン・ブルーム(Dr. Glen Broom)を訪ねるためです。

彼は、1885年に発刊された第6版から執筆に参加。カトリップ(2000年没)とセンター(2005年没)亡き後、最後に残された著者として2人の遺志を引き継ぎPRの研究に取り組んでいるリサーチャーです。

ブルームはジェームス・グルーニッグと同様、カトリップの指導の下ウィスコンシン大学でマスコミュニケーションのPh.D.を取得。長年サンディエゴ州立大学で教授としてコミュニケーションを教え、現在は同大学の名誉教授で、3年前からオーストラリア、ブリスベンにあるクィーンズランド工科大学の客員教授も務めています。今回は、前日にオーストラリアからの長旅で、帰国したばかりであったにもかかわらず、時差ぼけをよそに真剣に議論してくれました。

一方、ブルームと共に会ってくれたデービッド・ドージア(Dr. David Dozier)は、グルーニッグ夫妻他の共著による3部作、Excellence in Public Relations( 1992、1995、2002 )の著者の一人。ブルームとも共著本の執筆や共同研究を行うなど、企業におけるパブリック・リレーションズの研究に積極的に取り組んでいるリサーチャーです。彼は、スタンフォード大学でジャーナリズムのPh.D.を取得。現在はサンディゴ州立大学の教授として、ジャーナリズムやパブリック・リレーションズを教えています。

今回はサンディゴの海沿いにある街、ラホーヤで心地よい海風に吹かれながらの会合。3人でパブリック・リレーションズに関する様々な話題を語りあい、瞬く間に時間が過ぎていきました。

■米国におけるPRのスタンスと問題点
米国では80年代くらいから、PR実践の場でもパブリックと同様に組織体も変容していく対称性の双方向コミュニケーションが主流になってきています。しかし、これまでのPR教育はジャーナリズムに偏った傾向があり、パブリックへメッセージを伝える訓練をしてきた人々が実務家やリサーチャーにも多いとのこと。したがって、フィードバックを通して組織体が変容する必要性を認識していても、行動が伴わないという問題が起きているということでした。

私の自己修正論に話が及ぶと、2人とも、「自己修正(Self-Correction)」という言葉は他の分野で耳にしたことがあるものの、自己修正が パブリック・リレーションズにおけるモデルとして統合的に言及されているものには出会ったことはないとのことでした。 最近の米国での研究は、組織体でのPR導入が進んでいることも影響し、 組織体における活動の効果測定に関するものが主流であるとのことでした。

彼らが自己修正論に関心を持ったのは、オットー・ラビンジャーやジェームス・グルーニッグと同様、このモデルが倫理観をベースにした自己修正の概念である点と個人や組織体にも対応できる自己修正モデルのもつ普遍性でした。

ブルームさんからは、2007年発行予定のエフェクティブ・パブリック・リレーションズ第10版に、私の自己修正論を紹介したいと執筆の依頼を受けました。

サンディエゴ滞在中に、カルフォルニア大学サンディエゴ校の図書館を訪れ、関連資料を調査。外部の人でも自由に入館し書籍を閲覧できる、開放的な雰囲気と、全ての書籍をコンピューター検索できる効率性や宇宙ステーションを思わせる斬新なデザインとそのビルの巨大さが何よりも印象的でした。

今回、ボストンワシントンDC、サンディエゴの3都市を訪れ、6人の学者にお会いしました。彼らとの意見交換を通して、長年PRの研究に取り組んできたそれぞれの想いや、彼らの研究に対する真摯な姿勢に深く感銘を受けました。

そして、心強く感じたことは、各人が私の提唱する自己修正モデルに学問的な関心を寄せてくれたことです。このモデルが、アメリカでも通用する理論であるとの感触を得られたのも大きな収穫だったと思います。

プライベートで嬉しかったことは、ワシントンDCで早稲田大学から交換留学生としてこの9月から、アメリカン大学に1年間滞在している、私の教え子第2期生、藤牧君に会ったことです。米国でPRをしっかり学びたいと、希望に燃える彼の元気な顔を見ることができました。

それにしても最近の米国は随分変わったように感じます。携帯電話の普及やテロの影響でしょうか、人々の表情に余裕がなく、他人への気使いがなくなってきたようにみえます。

こうして2週間にわたる、パブリック・リレーションズ登場・発展の地、米国でのフィールドサーベイは終了。

世界はますます複雑・多様化の方向へ向かっています。今回の旅で、従来型の経済発展モデルとは異なる新しい、多様性を抱合できる共生型のモデルが求められている――そんな感触を得ました。

ここで得た成果をもとに、一日も早く論文を完成させなければと高ぶる気持ちを抑えながら、米国を後にしました。

投稿者 Inoue: 20:25 | トラックバック

2006年09月22日

米国9・11の5周年の日に ジェームズ・グルーニッグと初会合
 ?PRで世界平和が実現できる日を夢見て

こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。

論文のフィールド・サーベイを行うため渡米した私は、ボストンを後にしてワシントンDCに入りました。ワシントンはペンタゴン(国防総省)が攻撃され、ニューヨークと並んで2001年の米国同時多発テロの被害にあった都市。街全体には心なしか緊張感が漂っていました。この地で奇しくも9月11日、パブリック・リレーションズの4つのモデルを提唱するジェームス・グルーニッグ(Dr. James E. Grunig)に会いました。

今回は、学者としてまた研究者としてパブリック・リレーションズに情熱を傾ける、グルーニッグ博士との10時間にわたる会合についてのお話をお届けします。

■グルーニッグの4つのモデルの提唱者
ジェームズ・グルーニッグは、現在メリーランド大学の名誉教授。2000年にエフェクティブ・パブリックリレーションズ( Effective Public Relations )の著者の一人、スコット・カトリップが他界した後、文字どおりアメリカを代表するPRリサーチャー。私の本にも「グルーニッグのPRの4つのモデル」として紹介している人です。

1968年、彼は米国の偉大なPRの学者といわれた、スコット・カトリップを師に仰ぎ、ウィスコンシン大学でマス・コミュニケーションの博士号(Ph.D.)を取得。84年にトッド・ハントと共著の Managing Public Relations で、PRが発展してきたコミュニケーションの特性を4つに分類しモデルとして提唱しています。

彼の研究室は郊外にあるメリーランド大学にあり、ワシントンDCから車で30分程。同大学は今年で創設150周年。緑の中で広大な敷地を持つ大学キャンパスは、落ち着いて勉学に励む環境が整っています。ここでPRを専攻する学生数は約150人。他を専攻している学生とPRコースを取っている学生で合わせると1000人程度だそうです。

朝9時過ぎに彼のオフィスを訪ねると、大きな体で両手をあげて迎えてくれました。前の週にボストン大学のオットー・ラービンジャー教授を訪問した際もそうでしたが、会っていきなりパブリック・リレーションズについてのさまざまな話。時間が瞬く間に過ぎてしまいました。もうランチタイム。窓越しに6万人収容の、巨大なフットボール場が見える教職員専用の洒落たレストランでも、日米のPR事情や大学での教育のあり方などについて話がはずみました。

グルーニッグさんによると、現在、米国でのパブリック・リレーションズの状況は二極分化しているようです。
つまり、マーケティングにフォーカスしたマーケティングPRと、コーポレートにフォーカスしたコーポレートPRです。前者は企業の業績を支えるマーケティングへの圧力が強まる中でのPRへの期待とニーズの高まりからきており、後者は、効果的なM&AやIRCSR実現のために不可欠な企業のレピュテーション高揚を目的としてCEOにフォーカスしたPR活動に主軸をおいているようです。

彼の著書を読んでも感じることですが、ニーズの高まるマーケティングPRとは距離を置き、「組織体が長期的に繁栄するためにはマネジメント機能全体にパブリック・リレーションズが必須」とコーポレートPRの重要性を強く主張しています。

彼との様々な話の中で感じた、最近の米国におけるパブリック・リレーションズの問題点は、「PR=民衆の意見を操作しようとする悪」と誤解され、メディアから批判される傾向にあるということです。パブリック・リレーションズに対してこのような誤解が生じているのは、ウォーターゲート事件や最近では湾岸戦争やイラク戦争など、政府のパブリック・リレーションズにおける対応の不手際なども拍車をかけているようです。

パブリック・リレーションズがプロパガンダと、時に誤解されるようになったのは米国の第一次世界大戦参戦時、政府が国民の戦意高揚にパブリック・リレーションズの手法を用いてプロパガンダ的な活動を展開したことに起因しています。

重要なことは一方的に相手に情報、しかも時々誤った情報を流し込む手法はプロパガンダそのものであってパブリック・リレーションズではないということです。このことをパブリック・リレーションズの実務家は心にしっかりと刻み込まねばなりません。このような場合、私たちは「それはあくまでプロパガンダ、パブリック・リレーションズではない」ことを主張しなければなりません。それを支えるのは倫理観です。

グルーニッグさんと一致したことは、我々PRの実務家はいつでもその危険な落とし穴に落ちる可能性があるということです。

パブリック・リレーションズは、個人や組織体が最短距離で目的を達成する、「倫理観」に支えられた「双方向性コミュニケーション」「自己修正」をベースとしたリレーションズ活動であり、鍵括弧で示した3つの要素が揃って初めてパブリック・リレーションズと呼ぶことができるといえます。

私はこれを「自己修正モデル」と名づけていますが、この定義に関してグルーニッグは、この理論はシンプルに言いえており、とても面白いとその概念に興味をもってくれました。また私のPRに対する考え方である、「パブリック・リレーションズは個人であれ組織体であれ、全ての状況に適用できる手法でなければならない」にも大きくうなずいて理解を示してくれました。そして次回チャンスがあれば、彼の授業で講義をするよう依頼を受けました。

■夫婦で、おしどり学者
あっという間にその日も終わり、夕食には、奥様で彼の学者仲間でもあるラリッサさんも交えてワシントンに戻り、日本食をご一緒しました。グルーニッグの教え子であったラリッサさんもまたメリーランド大学でPh.D.としてパブリック・リレーションズを教授。多くの著書を残し講演も多数。彼らはご夫婦でイランや中国、台湾、東欧など世界中で精力的に講演を行なっています。

グルーニッグは、落ち着いてとてもゆっくりと話します。パブリック・リレーションズへの愛情や情熱が感じられ、PRに対する考え方も私と近く、様々なことをシェアすることができました。彼はコミュニケーションを双方向性だけで片付けることなく、その構造を、パブリックとの関係において、非対称性(アンバランスな)と対称性(バランスの取れた)の双方向コミュニケーションときめ細かい区分けをして解説する緻密さも持ち合わせている学者でした。

彼らとのミーティングを終え、次の目的地カルフォルニアのサンディエゴに出発する日の朝、空港へ向かう途中の陽光のなか、車窓の左手にペンタゴンが見えてきました。

5年前の2001年9月11日に米国で起きた同時多発テロのちょうど2日前の日曜の朝、ワシントンDCにいた私は同じように空港へ向かっていました。多くの緑と水辺に囲まれ、のどかに佇むペンタゴンは二日後に攻撃されるのが嘘のように、穏やかで平和な雰囲気をかもしだしていました。

あれから5年、9月11日にワシントンDCでグルーニッグさんとお会いしたのも何かの縁かもしれません。

私は、平和への想いを胸に抱きながらワシントンDCを後にして、いよいよ最終目的地、サンディエゴに向けて旅立ちました。


次回はスコット・カトリップ、アラン・センター亡き後、名著、Effective Public Relationsの著者グレン・ブルーム博士をサンディエゴ大学へ訪ねます。ご期待ください。

投稿者 Inoue: 18:15 | トラックバック

2006年09月15日

伝統あるボストン大学で2人の教授とミーティング

こんにちは、井之上喬です。
皆さん、いかがお過ごしですか。

ホノルルを後にして学術の都、ボストンへと飛びました。私が今取り組んでいる論文のフィールド・サーベイを行うためです。今回はパブリック・リレーションズの学部が米国ではじめて設置されたボストン大学で2人の教授にお会いしたお話をお届けします。

1839年に創立されたボストン大学は、全米で4番目に大きな私立大学として多くの著名人を輩出しています。

1947年ボストン大学は、いち早くパブリック・リレーションズの重要性を認識し、School of Public Relationsとして全米で初めてパブリック・リレーションズの専門教育を行う学部を創設しました。今では、College of Communicationと名前を変え、ジャーナリズム、パブリック・リレーションズ、広告の三つの分野にわたって専門教育を提供しています。

■気さくで品格のあるオットー・ラビンジャー
そんな伝統あるボストン大学でパブリック・リレーションズを教えるオットー・ラビンジャー(Dr. Otto Lerbinger)とその後継者ドン・ライト(Dr. Donald Write)に会いました。

ラビンジャー教授のその気さくで品格のあるお人柄は、初対面とは思えない友達との間で交わすような会話を楽しませてくれました。

ラビンジャーさんは50年以上にわたる教育や研究活動を通して、米国で著名なパブリック・リレーションズの学者です。もともと経済学者であった彼は、MITで博士号を取得。後にパブリック・リレーションズの学者となりました。特に企業経営にパブリック・リレーションズがいかに重要かを説き、組織体におけるパブリック・リレーションズつまり、コーポレート・パブリックリレーションズやコミュニケーション論を専門とし、危機管理やマネジメントにおけるパブリック・リレーションズに関する本や研究論文を数多く執筆しています。

ボストン大学では1954年に教鞭をとり初め、以来50年以上にわたり同大学でPRを教え、何度も学部長もつとめるなどパブリック・リレーションズを心から愛する教育者。これまで日本、韓国、中国、台湾、タイ、中東などアジアからの学生や、欧州をはじめ世界各国からPRを学びにやってくる学生を教えてきました。2年前には同大学の名誉教授となっていますが、現在も現役でいくつかの授業を持ち精力的に活動しています。

彼は、「パブリック・リレーションズはマネジメント機能の一部」だとして、パブリック・リレーションズが経営中枢において機能することではじめて組織体の経営や運営が良好に機能すると話していました。

彼の身のこなしはとても軽く、年齢を聞いてびっくりしたのですが、81歳とは思えない足取りで、キャンパス内をいろいろと親切に案内してくれました。

一方、ドン・ライト教授は、1990年代に私がIPRA(国際PR協会:本部ロンドン)の役員(Board Member)をつとめていたときの仲間。とても爽やかな人柄で、1997年に私が議長をつとめた、パブリック・リレーションズの専門性を高めるための啓蒙書「IPRA Gold Paper」(3年に一回発行)へ寄稿してもらうなど、アカデミックな領域でも交流があった人です。

彼はその後IPRAの会長を務め、2000年にシカゴで開催されたIPRAとPRSA(米国PR協会)のジョイント世界大会の開催に共同議長として大きく貢献しました。彼はこれまで南アラバマ大学でパブリック・リレーションズを教えていましたが、この9月からボストン大学で教鞭を執っています。

彼のボストン大への赴任は、同大学でPRを学んだ関西学院大学助教授の北村秀美さんから渡米前に偶然聞き、ドンとボストン大での6年ぶりの再会をはたすことになったのです。ドンの招待で、ラビンジャーさんともども中華レストランでランチをはさんで大学の授業のことや、米国のPRの現状などについて楽しく語らいました。

ラビンジャーさんに案内してもらったボストン大学の図書館を訪れて気づいたことは、外国新聞のセクションに日本の新聞がひとつも置かれていなかったことです。欧州系が中心でしたが日本のプレゼンスの低さにがっかりさせられたと同時に、日本からの働きかけ不足を痛感しました。他の大学でも同じような状況にあることが推察されますが、次世代を担う世界の若者に日本を理解してもらういい機会として、将来への投資と考え、新聞や書籍を寄贈する動きがあってもいいのではないかと思います。特に知的好奇心をさそうこれらの媒体は、日本を知ってもらう格好のPR素材です。


■私の共著本が授業の教科書に
ラビンジャー教授は、私の提唱する自己修正論にも大変興味を示してくださいました。特に倫理観に支えられた自己修正(Self-Correction)の概念に関心があったようです。私の著書『パブリック・リレーションズ』をお読みになった方はよくご存知だと思いますが、自己修正論は、「パブリック・リレーションズには倫理観と双方向性コミュニケーションを伴った自己修正が必要」とし、従来の経済効率重視型モデルから、21世紀の複雑化する多文化・グローバル社会の中での共生型モデルの根底となる理論です。

ラビンジャー氏は、以前、訪問前のやり取りのなかで、私が共著の本(Global Public Relations Handbook、このブログの右下にある最後の本をご覧ください)を読んだといってくださっていましたが、実は、彼が学生に教えている「International Public Relations」の授業のなかでこの本が、テキストブックとして使用されていることが分かり、とても嬉しくまた光栄に思いました。ちなみに、私の自己修正モデルは、英訳で、「Self-Correction Model」としてその本の中にも紹介されています。

その日の別れ際に彼が、「今度授業で、その著者に会ったと学生に言っておくよ」とウィンクしながらチャーミングに微笑んでくれました。

忙しい中、貴重な時間を割いてくれた、オットー・ラビンジャーさん、ドン・ライトさん、ありがとうございました。


次週は米国の首都ワシントンDCに飛び、PRの4つのモデルを提唱する、現在のパブリック・リレーションズにおける最も著名な学者であり研究者、ジェームズ・グルーニッグをメリーランド大学に訪問します。お楽しみに。

投稿者 Inoue: 18:25 | トラックバック

2006年09月08日

ハッピー・アイランド、Hawaiiでルアウ・パーティー

こんにちは、井之上喬です。
残暑が続いているようですが、皆さん、いかがお過ごしですか。

皆さんは2重の虹を見たことがありますか?
9月の初め、10数年ぶりに訪れたハワイで私を迎えてくれたのは、大きな弧を描いて山から海へとまたがる二重の虹でした。 その虹は7色の強い光を放ちながら滞在するホテルの部屋から50メートルの眼前に迫ってきました。やがてその巨大で立体的な造形物は、ゆっくりと海から山へ、シャワーと呼ばれる霧雨を連れて島を移動していきました。

大きな弧を描いて山から海へとまたがる二重の虹

その美しさと荘厳さに感動した私がタクシー・ドライバーに尋ねると、ダブル・レインボーは地元の人でも1・2年に一度しか見られないラッキーサインだといって祝福してくれました。

今回は、そんなハッピー・アイランド、オアフ島からハワイアン・ルアウパーティのお話をお届けします。

■月光と満天の星を仰ぐガーデン・パーティ
9月4日、「早稲田大学ナレオ稲門会」創設10周年を記念してハワイアン・ルアウパーティが開かれました。1927年、ワイキキ・ビーチにオープンした「 ピンク・パレス」と呼ばれる歴史的なホテル、ロイヤルハワイアン・ホテルのオーシャン・テラスで行われたパーティには、 総勢200人近くが集まり、本場の華やいだトロピカルな空間でハワイアンを楽しみました。

司会はナレオOBの露木茂さん。日本からは、家族や友人を伴った総勢140人を超える老若男女。そして大学の白井総長も駆けつけてくださいました。地元稲門会との交流会も兼ねたこのパーティにはハワイ稲門会の中村幹事長以下、30人ほどのメンバーも参加。地元出身のプロ・ゴルファーのデイビッド・石井さんもお祝いに足を運んでくださいました。

特設ステージでのハワイアン演奏やフラダンスで場内は盛り上がりをみせ、白井総長も飛び入りで「ブルーハワイ」を唄い大喝采。元グリークラブでバスを担当していた当時と変わらない張りのある素晴しい声を披露してくださいました。色とりどりの花飾りや衣装を身に着けて、各々が思い思いの時間を心行くまで楽しみました。

■パワフルな仲間たち
今回は偶然にも、ホノルルで長期滞在していた日本広報学会の仲間に会いました。早稲田OBで大学助教授でもある彼を誘い、 前日にヨット・ハーバーで行われたパーティに一緒に参加しました。音楽とはあまり縁がなかった彼も楽しんでくれたようです。

4年前から始まったこのツアーに、今回、私は初めて参加しました。そこで感じたことは稲門会のパワーです。まだまだ現役で活躍し人生を謳歌しているメンバーから発せられるエネルギーは相当なもので、その力強さには改めて驚嘆させられました。

1980年代、毎年1月ホノルルで開催されるPTC(太平洋電気通信協議会)の総会にメンバーとして出席していた私にとって、ハワイでの3日間は想い出深いものとなりました。

滞在中にさまざまな人と接し、語らい、久しぶりに日常から離れ、リラックスした休暇をゆっくり過すことができました。これも、ホスピタリティ溢れるハワイの人々や大自然のなかで悠久の時を刻むハワイアン・タイムのおかげかもしれません。

Aloha and Mahalo(さようなら&ありがとう)
また、この島に戻ってくる日を楽しみに…。 


PS:来週はボストンに飛び、1947年米国で初めてパブリック・リレーションズ学部を創設したボストン大学でパブリック・リレーションズの教鞭を執る、Dr. Otto LervingerとDr. Don Writeの二人の教授のお話をします。

投稿者 Inoue: 15:46 | トラックバック

2006年09月01日

「PRパーソンの心得」 
第2回:理論と実践を両輪に

こんにちは、井之上喬です。
もう9月です。時のたつのはほんとうにはやいですね。
皆さん、いかがお過ごしですか。

先日、日本広報学会主催のシンポジウムが開催されました。「広報人育成の課題と方法 ?基本文献プロジェクトの発足にあたって」をテーマとしたこのシンポジウムのパネル・ディスカッションにコーディネーターとして参加し「広報プロフェッショナルの育成に何が求められるか」を主題に活発な討議をおこないました。


■専門家育成に不可欠な理論
米国でPRのバイブルといわれている、“ Effective Public Relations ”の日本語版出版を皮切りとする基本文献プロジェクトを紹介するこのシンポジウムをとおして、パブリック・リレーションズに対する期待と普及への機運の高まり、そして専門家育成がいかに急務であるかを改めて感じました。そこで今回は、「PRパーソンの心得」第2回として、PRパーソンにとって理論と実践を兼ね備えることの重要性についてお話したいと思います。

戦後GHQにより日本にもたらされたパブリック・リレーションズは、GHQ撤退後、専門家不在のなかで変遷を遂げてきました。長きにわたってPR先進国である米国から、PRの概念や本質を捉えた理論体系が移入されることはなかったのです。

加えて広告会社内にPR部が創設されたことでその機能と能力は矮小化され、パブリック・リレーションズの体系的な理論に基づいた教育はほとんど行われませんでした。したがって組織体にあっては、高等教育でPRの専門知識を持った学生の就業が皆無の状態。やっと広報部門で仕事を覚え、これから本格的に取り組もうとする矢先に、2?3年で別の職場に異動させるジョブ・ローテーションに組み込まれるなど、パブリック・リレーションズを専門職とする実務家は育ちませんでした。

『広辞苑』によれば、理論は、「個々の事実や認識を統一的に説明できる普遍性を持つ体系的知識」とされていますが、理論を習得することは、PRを実践する上でのバックボーン、いわば迷ったときに立ち返る場所を確保することにもなるのです。

PR理論の体系的な理解は、個々の実践的な行動の統合化を可能にし、より確実に目標達成の成果を生み出す素地を私たちに与えてくれます。そしてパブリック・リレーションズに初めて関わる人やその本質を理解していない人には、PRの機能と役割を認識させ、立案した戦略の有効性を説得するのに役立ちます。


■実践を通して理論を構築する
しかし実践抜きの純粋な理論習得だけに終わっては、現実に起きている問題に対応する柔軟性や適応力を欠く場面も出てきます。したがって実務家は、日常業務において理論と実践の両輪をしっかり持ち行動することが極めて重要となるのです。理論を実践に適用してその有効性や正当性を検証し、実践をとおして新しい理論を構築することが可能となるのです。このような行動によって、実務家としての技術や思考、そして感性が研ぎ澄まされていくのです。「PRは生涯勉強の連続」というのもうなずける話です。

シンポジウムの会場からは、従来の広報の枠組みではその活動そのものに制約を感じるとの声が挙りました。つまりパブリック・リレーションズのカバー領域は多くの日本の企業の広報部門の業務範囲を超えているということを指摘したものです。現在広報に携わる多くの人が抱く問題を提起したといえます。

PR実務家にとって行動すべきことは、日々の活動のなかでPRの理論体系に照らし合わせて頭を整理すること。そしてその理論に沿って、より多角的で長期的な視野に立ち戦略的にPRプランを構築し実践することです。

この2つを実行することで、実務家は日々の活動の立ち位置や成果を統合し、最終ゴールの達成に確実につなげていくことができます。このように理論に裏打ちされた一貫性のある行動をとおして、従来の広報の枠組みを越え、幅広く経営中枢に関わることのできるパブリック・リレーションズの展開が可能となるのです。米国でのPRの目覚しい発展は私たちにこのことを教えています。

不確実な時代にあって、各方面からパブリック・リレーションズの必要性が叫ばれています。広報担当者やPRの実務家は、理論を学ぶことが実践の質の高め、日々の実践を理論にフィードバックすることがパブリック・リレーションズの質そのものを向上させることを肝に銘じて行動しなければなりません。そのような行動こそパブリック・リレーションズの実践をよりスムーズにし、日本社会におけるパブリック・リレーションズの導入を加速させることになりましょう。

投稿者 Inoue: 19:49 | トラックバック